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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
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真田山陸軍墓地(4)@大阪

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この史跡は5回シリーズです。
追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 史跡 > 近代 > 関西 > 大阪 よりどうぞ。

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真田山陸軍墓地 in 大阪市天王寺区。続き。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014515_2.jpg

①日清戦争・台湾領有戦争 軍夫・職人などの墓  ②西南戦争 戦没者・病没者の墓
⑤日清戦争・台湾領有戦争 戦病没した兵士の墓 ⑥日露戦争 戦病没した兵士の墓 
⑦将校 墓


個人墓碑で一番数が多いのは日清戦争時代のものだそうです。
日露戦争の途中からは合葬墓になった。
というのも、日露戦争は以前の戦争に比して死者が多く、個人墓を作る物理的余裕がなくなるだろうと思われた為。
要するに死者が多すぎて個人墓を作る場所がなくなるよねっていう。
これは大阪だけでなく、全国の陸軍墓地の問題であったようです。
日露戦争以後は基本的に戦争・事変ごとに合葬墓を作ることが原則になった。(平時の死者は個人墓)


2014_05020763_R.jpg
⑥ブロックの写真


墓石の大きさ・形にも規定がありまして、明治7年以降の墓碑は基本的にはてっぺんが角錐の形をしています。
しかしながら、写真前列左の墓碑は頭がかまぼこ型で、これはそれ以前のもの。
古い時代のものは作り直されていたりで、一概には言えないみたいですが、大体そんな感じ。


2014_05020766_R.jpg


こちらはオレンジで囲った所、将校の墓になります。


2014_05020771_R.jpg


この墓地で一番大きいのが今井兼利のお墓。4m。

今井兼利は薩摩出身、天保6(1835)年の生まれというので、井上馨、坂本龍馬、土方歳三らと同い年になります。
維新後陸軍に入り、西南戦争に参加して勲功を認められている。
大阪鎮台は師団制に切り替わった際に第4師団になりますが(明治21年)、その際の職員録を見ていたら、歩兵第7旅団の旅団長でした。
少将で、この墓地では一番ハイランクの被葬者になります。


海軍には水交社という現役士官の親睦団体がありましたが、陸軍にも同様の組織、偕行社がありました。
親睦団体というか、軍事研究なんかもしているので研究団体でもいいのか。互助組織でもある。
この陸軍墓地に関する本を見ている際に知ったのですが、大阪の偕行社は小学校を作っていたそうです。
私これにはびっくりしまして。
そうなんだ。

大阪偕行社附属小学校と言いまして、設立は明治21年、年月日見たら師団ができる直前の話だった。
提唱者は高島鞆之助、薩摩出身の陸軍軍人で、当時の大阪鎮台司令官になります。


高島鞆之助


ちなみにこちらの小学校、現在も追手門学院小学校と名を変えて残っています。
そうだったんだ。

これにもびっくり。大阪では有名な小学校ですな。お金持ち学校…
大学ありきの小学校かと思ってたんだけど違ってたんですね。
同小学校の公式HPに詳しい沿革が出ていました。
それによると、


・高島鞆之助中将、今井兼利少将(大阪偕行社幹事長)等の主唱で、大阪偕行社社員と在阪財界人の支援を得て設立
・西日本最古の私立小学校
・設立当時は軍官高吏の子弟や教育に熱心な有識の家庭の子弟の男子のみ
・「国家有為の人材 育成」を目指し、次世代の国家のリーダー育成が目的だった


要するに陸海軍人の養成を目的にした学校で、昔から名門だったようです。
この偕行社附属小学校、0からのスタートではなく明治9年に当時の大阪鎮台司令官であった三好重臣らが前身になる学舎を作っていたみたい。
追手門学院小学校、伝統のある学校だとは聞いたことがありましたが、そんな昔からある学校だとは思わなかった。笑

小学校創立のひとりである今井少将は明治23(1890)年に亡くなっているため、近代日本が経験した戦争としては西南戦争にしか参加してません。
その西南戦争では田原坂・木葉方面の激戦地区で戦っていたそうです。
8月に宮崎で負傷し後送、療養中に戦争が終わった。
『陸軍墓地がかたる日本の戦争』に載っている経歴を見ると、工兵関係の軍人だった模様。
天保6年生まれで明治23年没だと55歳。
現役のベテランですが、出張時にコレラに罹患しあっけなく亡くなった。
そしてこちらに埋葬されている。

で、この方の次男が今井兼昌といい、海兵7期、海軍さんでした。
加藤友三郎、島村速雄のクラス。
藤井較一、野元綱明(広瀬武夫のロシアでの上司だった)、伊地知彦次郎(日露wの際の三笠艦長)も同期です。
びっくりねー。
日露戦争の際、水雷艇隊の総指揮官として旅順封鎖に参加したってコトバンク(おい…)にはあるんだけど。
そ、そうなの?
持ってる資料幾らか開いてみたけど、そういう記述見当たらない。

今井少将についてはこの真田山陸軍墓地で初めて名前を知った程度で(西南戦争関係で見てる可能性あるけど覚えてない)、墓石の大きさに驚いたという感じだったのですが、実は1基だけ被葬者の名前を見て大変驚いたお墓があります。
先に書いておくと有名人ではない。

続く!
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