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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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石部金吉金兜(続)

 『条約派提督 海軍大将谷口尚真―筆録『鶏肋』に見る生き方

前回の続き。

谷口の名前がよく見られるのはロンドン海軍軍縮会議~満州事変の辺りだと思います。
上の本の題名にも「条約派」とあり、そこから想像できる通り対外協調路線の人、海軍良識派のひとりになります。
軍縮条約を締結するのにも随分尽力した。 

満州事変当時、谷口は海軍軍令部長だった。
アメリカとの戦争に繋がりかねないという理由で満州事変には絶対反対、参謀本部から艦艇を派遣してくれと要請されても断っている。
そうした国際協調に重きを置く人は内部からは評判が悪く、周囲(いわゆる艦隊派)からのご注進を受けた東郷平八郎元帥が谷口の姿勢を弱腰と面罵し責めたという話が残っています。
東郷元帥はすごい人だと思うけど、最晩年は周囲から担がれて利用されまくって、本当に老害としか言いようが…

谷口が没したのは昭和16(1941)年10月31日という本当に開戦の直前ですが、前年に野村吉三郎が駐米大使としてアメリカに赴任する際、
「何としてもアメリカとの戦争にはするな」
と病床で涙ながらに口にしていた姿を家族が目にしていると本書にはあります。
国の行き先が心配で心配でたまらなかったんだと思う。
あの辺りの歴史を見ていると大角人事といい、なんでこう良い人材ばかりが放逐されていくのだろうと本当に息苦しくなってくる。
そして組織を生かすも殺すも結局は人だよな、とも思います。


前回も書いた通り、谷口は周りから窮屈に思われる程の謹厳、堅苦しさであったけれど、それが非常にまじめで几帳面、フェアな人だという人物の評価に繋がっていたようです。
財部彪海相が谷口を軍令部長に推した際、昭和天皇に申し上げた谷口の人物評は、
「穏健で公平、大局からものが見られる人物」

井出謙治(16期)は奥さんが花柳界の出だったそうですが、彼が結婚した時の人事局長が谷口だった。
海軍士官の結婚には海軍大臣の許可が必要なのだけれど、谷口が差し支えなし、大丈夫と太鼓判を押したなら問題にならない。
そういう風に周囲から見られていた人だったみたい。


本書には谷口の没後30日祭時に海軍関係者が話した追憶の要約が4つ載っていて(財部、鈴木貫太郎、安保清種、中川繋丑)、鈴木の話が面白かったです。


明治三十三年に私は海軍省軍務局におり海軍大学校の教官であったが、ちょうど甲種学生の募集があり、谷口君はそれを受けられた。
当時の選考委員は熱心で、将来の立派な将校を養成しようというのにただ筆記試験に落第したからといって除外されるのはおかしいという意見が出た。
忙しい人は筆記試験の準備ばかりしているわけには行かぬ。
筆記試験を落第した者のうちにも必ず立派な人がいるだろうから、それを斟酌しようじゃないかということになった。
そこで落第した者のうちから求めようということになって、考課表をすっかり調べてそうした人物を選んだ。
その中に谷口君がいた。
またその人物を保証する人がいることも選考の条件とした。
私は谷口君なら保証すると申し出た。
口頭試験は教育本部長はじめ偉い人の前で受けるのだが、実は谷口君は口頭試験で一番、筆記試験は落第しても口頭試験は一番。
このことは恐らく谷口君もご承知がなかったろうと思う。



海軍教育本部?そんなのあったの?
手元にある軍事事典で調べたら、明治33年5月設置になっているので、当時まだ出来たばかりの機関ですね。
大正12年に廃止になり教育局に改められている。
初代本部長は諸岡頼之でした。すいません知りません。
しかしながら、

将来の立派な将校を養成しようというのにただ筆記試験に落第したからといって除外されるのはおかしいという意見が出た。<略>

筆記試験を落第した者のうちにも必ず立派な人がいるだろうから、それを斟酌しようじゃないかということになった。

こうした記述を見ると海軍兵学校での成績が悪かった広瀬武夫が海外留学生に選ばれた雰囲気というか、そういうのが何となく分かるような気がします。
読んでいて、あ、すごくいいなと思ってしまった。笑 


本の内容は訓示なので、まー…堅苦しい話が多いです^^;
ぶっちゃけると読み飛ばしもいい所(笑) 読み飛ばすも何もあまり読んでな(以下ry
ひとつ印象に残っているのが「大正十五年十二月 呉鎮守府長官時代 幕僚ニ訓示」というもので、東洋風の豪傑と西洋風の名将の用兵の術と、どちらがいいのかという件がある。


自分は今まで多くの先輩について以下のような観察をしてきた。
幕僚であったり各部局の部員・局員であった時は口八丁手八丁で企画立案等に優れ、部内で推服された人物でも、
ひとたび司令官なり局長になると、多くは沈黙、威を仰ぐ人になり、盲判を押す人になってしまうようだ。
而シテ部下統御ノ秘訣ハ、一ニ韜晦シテ、知ツテ知ラザルガ如ク部下ニ一任シテ疑ハザルニ在リトスルノデアル。

確かに東洋風という感じ。
日露戦争時の大山巌が彷彿と頭に浮かぶのは私だけ?
といっても『坂の上の雲』に描かれた大山の態度は、あれは資料で見る姿とは大分違うみたいだけど。
(※韜晦…自分の本心や才能を表に出さず隠す事)

これを西洋の名将の用兵と比較すると明らかに違うように思う。
自分はどちらが果たして将としては良いのかと多年迷っているが、
所謂東洋流ノ豪傑ノ遣リ口ハ已ニ過去ニ属スルモノデアツテ、
嘗テハコレモ亦用兵統率ノ術ニ叶ツテ居タニ違ヒナイガ、
現今ニ在テハ、斯クノ如キ「ドクトリン」ハ最早決シテ学ブベキモノデハナイト思フノデアル。


谷口の言葉から、時代が明治とは随分変わったんだなという事を感じます。
明治と大正の終わりでは社会の様子も随分代わり、軍事技術も話にならない位発展してますから、近世を引き摺る統率のあり方では、というか、近世を引き摺る統率のあり方だけでは、もう時代について行けなかったのではないかと思います。
明治維新からすでに半世紀以上経ってるしね。
謹厳居士とか真面目とか言われると頭が固そうな印象だけど、谷口は割とフレキシブルな人だったんじゃないかなー

本はあんまり真面目には読まなかったけど^^;、借りて良かったです(笑)
  
エントリの表題が石部金吉ですが、”融通のきかない頭の固い人”じゃなくて”生真面目で物堅い人”って感じでお願いします(笑)
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Comments

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2014-01-03 01:00 
ジゴロウ #1
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますm(_ _)m

明治、大正のころのこういう話って好きです。

帝大で、夏目漱石の生徒…だったか同級生だったかが、ドイツ語の成績がよくないから留年になりかかっていたのに、漢籍たけは、教授の誰もかなわないくらい優れてるから留年取り消し。

こういった大らかさ、大好きですね。
2014-01-03 06:14  >ジゴロウさん
ヒジハラ #2[Edit]
あけましておめでとうございます!
昨年は色々とありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い致します。
 
帝大の方でもそういう話があるんですか。
勿論四角四面な所もあるのでしょうが、余裕があるというか気持ちが豊かだなあと感じますねえ^^
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