Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

(10)除痘館と適塾

お玉が池種痘所の話を書きましたが、大阪でも同様の施設がありました。
それが緒方洪庵が作った除痘館で、お玉が池よりも随分早い。

緒方も牛痘接種には随分苦労しまして、広めようとしても種痘の苗が死んでしまったり、悪徳医者が出たりでえらい苦労をしている。
悪評が流れたり、怖がって寄り付かない子供にお菓子を与え、時には金を与えて接種したり、こうしたことはどこの種痘所も経験したそうですが、本当に涙ぐましい努力が…
ちなみに子供を呼ぶ為に当時珍しかった孔雀を飼っていた種痘所もあったそうです。


緒方洪庵_除痘館


上の年表、上の矢印が大阪の除痘館開設、下のが江戸のお玉が池種痘所の開設になります。
これを見ると大阪が1849年、江戸が1858年で、実に9年の開きがある。

で、お玉が池の方ができた時には大阪の除痘館は幕府の公認、即ち官許を得ています。
官許といっても運営していたのは町医者と町人で、明治6年まで続いた。
こういうのは全国的に見ても珍しいと何かで読んだことがある。


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緒方洪庵は文久2(1862)年に江戸に下り、奥医師兼西洋医学所の頭取になっています。
緒方としては幕府(というか伊東玄朴だろう)からの再三要請されるも全て断っていたのですが、ちょっと断り切れんくなったんですなあ…
江戸に出るというのは、本当に気が向かなかったみたい。
大阪を発って僅か10か月後に急死したというのは、そういうストレスもあったんじゃないかと想像。

伊東玄朴や緒方洪庵らの話は手塚治虫『陽だまりの樹』と村上もとか『JIN-仁-』に描かれており、そちらでご存知の方も多いと思いますのでこれ以上はスルーします。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014031703.jpg


で、緒方が開いた適塾ですが、ここで学んだ歴史的に有名な人物が多くいます。
橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介、高松凌雲、長与専斎、佐野常民など。
適塾で聞いた話によると、塾生は青森と沖縄を除く全国から、一時期在籍していたとか外からの通いとか、そういうこともあれこれ勘案すると大体1000人ほどの塾生がいた模様。

東北出身で知っている塾生がいるかと思って『緒方洪庵と適塾』(梅溪昇/大阪大学出版会/1996)を見ていたんだけど、いなかった。
そもそも東北から来ている人は少ないわー地理的に見ても多分江戸に行くだろうと思われ^^;
関西から西の人が殆どで、県別に見て一番塾生が多かったのが山口県(56人)でした。
その内の3人が塾頭経験者で、その中のひとりが村田良庵。
村田蔵六、後の大村益次郎になります。


***


緒方が開設した除痘館跡、大阪に残っています。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_03190365.jpg


適塾のすぐ裏手にある緒方ビル。緒方ビル…^^
お察しの通りオーナーはご子孫様でござる。

http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20140319_02.jpg


現在の美々卯本店の所に除痘館はあったのだけれど、後移転。
この辺りの写真もあるので、それはまた後日ということで。

間違えて種痘所にしてあるけど、除痘館ですすいません…orz
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Comments

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2014-03-20 01:39 
ジゴロウ #37
なんか子孫が変わらずそこにいるって、ホッとしますね。

昔は○○が住んでた、○○はここで生まれた。けど、今は縁もゆかりもない人が住んでたり、建物が建っているという例ばかりで…
2014-03-20 05:40  >ジゴロウさん
ヒジハラ #38[Edit]
本当にそうですね^^
特に大阪のような都市では中々珍しい気がします。
近代で有名な人物は東京に移ったケースが殆どで、現在は石が建つだけということが多いですもんね~
そういうこともあって最初緒方ビルの事を知った時は「おお、すごいな」でした。笑
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