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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
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落ち穂拾い(3)

乃木希典@木葉


熊本の木葉、木葉駅から一番遠い所にあったのが乃木希典奮闘の地。
神社の麓にありました。
そしてこの神社の階段を上り切った所にあったのが薩軍砲営陣地跡。
え…どういう距離関係…

駅から歩いて30~40分位ではないかと思うのだけれど、ここに来る前に高月官軍墓地に寄っているので正確な所が分からない。
西南戦争時、木葉には官軍本営が置かれていた時期があるので、官軍関係の史跡があちこちにあります。

駅からの道をまっすぐ進むと国道208号線に当たります。
その国道に面している正念寺が官軍病院になっていた。
この正念寺を少し上がった所に官軍本営跡があり、そこから「田原坂攻撃官軍第一線」まで大体1キロ。
歩いて15分掛かるか掛からないか位で、本営が非常に前線に近くて驚きました。
多分田原坂(1.5㎞)を上る時間の方が長い(笑)


田原坂資料館 


お久しぶりの田原坂西南戦争資料館。
何年か前に植木町が熊本市に合併され、北区植木町になりました。
建物も展示内容も大幅にリニューアルされております。資料館の方に聞くと、建物のリニューアルは1年半ほど前であったそうです。
良い時に来た。

従来熊本城天守閣で展示されていた西南戦争関係の展示が、こちらにやってきていました。
地震の関係で天守閣は現在閉鎖されております。
同じく天守閣に展示されていた龍驤(初代艦)の一部はどうなったんだろう…

桐野利秋、辺見十郎太の書簡も1通ずつ出ていて、これはラッキー。
石黒忠悳が描かせた神風連の乱時の刀創記録(明治九年神風党暴動時刀創図)も展示されていた。
恐らく日本刀を交える戦争はこれで最後になるだろうと画家に描かせたもので、指が無い、肉が避けて骨が暴露している…など大変生々しく、印象に残るものでした。
薩摩隼人が相手だとより一層ひどかったと思われます。

石黒忠悳(ただのり)は日本陸軍の初期の軍医総監になります。
軍医制度を作り上げた人物。
サイトでは脚気論争の話で名前を出していますので、覚えている方もおられるかと思います。
森鴎外の上司であった人ですな。
日清日露戦争の際の脚気暴発の大惨事は、森というより石黒忠悳や小池正直といった森の上司の責任だろう(しかし結構なことをしている森に責任がないとは思わない)。

娘婿が小野塚喜平次。
東大卒で、同窓に浜口雄幸、幣原喜重郎、勝田主計などがいます。
明治28年に卒業したので二八会という。
雄幸とは仲が良く、主席を争った間柄。
雄幸が首相となった際、東大総長に推したのが小野塚でした。

小野塚の友人で二八会のひとり、農業経済学の大家であった矢作栄蔵が講道館繋がりで広瀬武夫と仲が良かった。
どうも矢作は仲が良かった大学の友人と柔道の友人を仲良くさせたかったらしく(笑)、間を取り持ったらかなりの仲良しになってしまったという経緯があります。
という訳で小野塚は広瀬の友人のひとり。


田原坂駅


田原坂の資料館を見学した後は、近くにある熊野座神社に立ち寄って、田原坂駅まで更に徒歩。笑
25分ほど。
電車が来るまで暫くあったので、昔見た民謡田原坂がどこに刻まれていたのか探したのだけれど分からんまま終わってしまったのだった…

そして植木駅に着いたのが15時頃。
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