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昭和天皇と周囲の人々(主に明治)(2)

迪宮裕仁親王が学習院初等科に入学したのは明治41年4月のこと。

この約1年前に乃木希典が学習院院長となっており、皇孫入学のための準備を進めています。
乃木を望んだのは明治天皇の様で、院長就任以前、山縣有朋が乃木を参謀総長にしようと奏請した処、明治天皇に却下されております。


乃木希典


乃木の迪宮に対する教育方針は質実剛健と忍耐、厳しく自己を律すること、正直、といったもので、それに沿ったエピソードが散見されます。
昭和天皇も乃木には感化されたようで、戦後の記者会見でご自身でそう語られている。


迪宮が乃木と接した期間は4年程、そう長くない期間です。
言うまでもなく明治45年7月29日の明治天皇の崩御によって終わりを告げた。
明治天皇の大喪はその1か月半後の9月13日に行われましたが、この日は乃木希典夫妻が自決をした日でもあります。


この2日前の11日、乃木は青山の皇孫御殿に迪宮(12歳)、淳宮(秩父宮/11歳)、光宮(高松宮/7歳)の3親王を訪ねます。
秩父宮の回顧によると、この日の乃木の様子は頬髯と顎髭が伸びたまんま。
普段の面影が無く、そのあまりの変り様に秩父宮は唖然としてしまった。
11歳の子供がそう思うほど、異様な窶れ方だった。

この時乃木は山鹿素行の『中朝事実』に自らが朱筆を加えたものを持参していました。
いつも兄弟3人一緒に会っていたそうですが、この時乃木はまず迪宮だけに会い、その後その内容を長時間にわたって説明したそうです。
そして、

「ゆくゆくご成長されたら、よくお読みになって頂きたい」

そう迪宮に諄々と懇請した。
幾ら聡明とはいえ、12歳の子供には乃木の解説する内容は恐らく分からなかったと思います。
しかし乃木のいつもとは違う、尋常ではない雰囲気に、

「院長閣下はどこかへ行かれるのか」

迪宮はそう尋ねています。

言うまでもなく乃木は親王たちに最期の別れを告げに来ていたのですが、それに気付いていたのは迪宮だけであったようです(1歳違いの秩父宮でも気付いていなかった)。


続く。
短くてごめん…orz
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