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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
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サイト更新(ダイバーシティ・山本信次郎/完)

サイト更新の御案内です。

近代 【ダイバーシティ(4)-2】<完>
 【4】東宮御学問所御用掛
  2)皇太子の御外遊 
   1.大正十年、皇太子の外遊
   2.供奉員として
   3.外遊中のエピソード

今回ちょっと長めですが、山本信次郎の話はこれにて終了になります。
自分ではもう少しぱぱっと終わる予定だったのだけれど、思いの外長引きました。
いつもの事ですかそうですか。
お時間がありましたら遊びに来て頂ければ幸甚です。

(※思いの外長くなったので、2ページに分割の上、各章に題名をつけました)

***


今回は山本が東宮御学問所御用掛であった時の大イベント、大正10年の皇太子のヨーロッパ旅行の話になります。
なぜ皇太子(後の昭和天皇)がこの時期に海外旅行に行ったのかという話は、以前サイトに掲載した「『竹下勇日記』を読む」でも触れています。
こちらも併せてご覧頂ければ分かり易いと思いますので、よろしければどうぞ(今回の更新ページにリンクを貼っております)。

いやー…
私この辺りの話大好きでね…良いよね…
最初は純然たる竹下勇目的だったんですけどね。

この時の供奉員の皆さん、本当に本当に大変だったと思う。
それまでの箱入りから一種スパルタでビッシバッシと教育する相手が皇太子
供奉員のひとりは皇太子の勘気に触れて下船命令がでたらどうしようと思っていたらしい。笑

しかし皇太子(20)だって大変だったと思うのよ?
軍艦に放り込まれて初めての海外旅行。
周りには当然おっさんしかいない。
しかも爺ちゃんや父ちゃん位の供奉員に結構な割合で取り囲まれて怒られる。
そら泣くわ。(笑)

ただこの外遊、昭和天皇にとっては非常に思い出深いものであったようです。
還暦をお迎えになった時の記者会見で、60年を振り返って一番楽しく感銘が深かったとおっしゃられている。

今回サイトで『陛下、お尋ね申し上げます』という昭和天皇の記者会見集を引用したのですが、ぽつぽつこの時の旅行の話が出ています。


<昭和45年9月16日>
私のそれまでの生活がカゴの鳥のような生活でしたが、外国に行って自由を味わうことができました。
そのことが最も印象深いことでした。
カゴの鳥のように何も知らない私を外国に連れて行ってくれた随員の世話で、外国でも何一つ困ることなく無事に使命が果たせ、旅行が出来ました。
今もあの時の経験が役立ち、勉強になって、今日の私の行動があると思っています。

<昭和54年8月29日>
その時の旅行は、それまでの私の生活では経験しない初めてのことであったので、相当苦労はしましたが、閑院宮はじめ、珍田その他の随員の親切な指導によって無事に帰れました。


何故か私が我がことのように嬉しい。
供奉員として随伴した人々が聞いたら泣いて喜んだと思う。

しかし「カゴの鳥のような生活」という言葉はかなり印象的です。
弟宮である高松宮も海軍兵学校に入った時の特別待遇がかなり不満であったそうですし。
皇太子だと余計でしょう。

あと同じく今回、『われらの摂政宮』というこの外遊の取材を許された時事新報記者の本を読んでいたのですが、昭和天皇のご学友に副島種忠がいて少し驚きました。
そうだったんだ。
副島種忠は副島種臣の孫になります。

原敬は鎌倉の腰越に別荘を持っていたのですが、その別荘と副島家の別荘が近くで行き来があった。
原の養嗣子貢がイギリスに留学する際、副島さんちの種忠君もイギリスに行くから同じ船に乗れば?と原のとーちゃんが言うのでそういうことになり、そしてふたりを上海まで送ってくれたのが副島種忠のとーちゃんでした。
そうかーそうかー昭和天皇の御学友だったんかー
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