Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

(6)佐久間象山

佐久間象山との関係で有名なのは吉田松陰や勝海舟ですが、引き続き江川太郎左衛門との話でいきます。
うん、この話続いても吉田松陰も勝海舟も出てこない。多分。笑


江川太郎左衛門と佐久間象山、両者が不和であったことはよく知られています。
私が思うに、象山の性格に多くが起因しているような気がする^^;

歴史上の人物ってそれなりにゴーイング・マイ・ウェイだと思うんですが、これだけそれを徹底している人も珍しい。
良くもあるけど悪くもあって、
佐久間象山?優秀だよね、突出した才能があるよね。
と、皆口を揃えて言うけれど、その後には
「でもあの性格じゃなあ…」
………^^;
どうも悪い方が目立つ…

賢すぎて自分の周りがみんな馬鹿に見える。
水野忠邦とか高野長英と同じタイプだと思うけど、「和をもって貴しとなす」とは程遠い所にいたのでは?という点では、多分象山は突出してると思う^^;
協調性なく人に譲ることができず、狷介、傲慢、驕慢な所があり、嫌われること、敵を作ることが多かった。
「和をもって貴しとなす」が良いか悪いかは別にして、ある程度の協調性がないと日本社会では、ねえ…

http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/sakuma.jpg

せっかく才気才能があるのに!
と、これは象山の理解者の多くが懸念していた点で、この悪癖を矯めないと畳の上で死ねないんじゃないかと心配した先輩もいる。
一番の理解者で、様々な庇護を与えバックアップをしてくれた松代藩主真田幸貫にさえ、
「徳がなく、そのために人付き合いをしても皆敵になる」
とまで言われていた。

「象山は悍馬である。使いこなせるのは私しかいない」
幸貫はそういう事も口にしていて、また事実そうでした。
幕末もこれからという時に幸貫が没した後は、確かに松代藩に象山を使いこなせる人はおらず、また彼の性格もあってその言は藩に容れられなくなった。
幕府や他藩でその才能を認められていたけれど、自藩においては来るべくして来た不遇、という面があったと思う。


川路聖謨の仲介を経て象山が高島秋帆の高弟であった江川太郎左衛門に高島流砲術(西洋砲術)の教えを請うたことは前回触れました。
結果的には入門は許されたのですが、初めからケチがつきまくった。
なぜかというに、江川は象山の弟子入りを拒否していたからです。
象山だけに限らず、外部からの弟子をとらないようにしていたからですが、

象山何回か来る→江川断る→象山強引に束脩(入門料)を置いていく→江川翌日それを返却→その日にまた象山来る→真田家から依頼来る→江川断る→川路が仲介

はあ…(溜息)
よく言えば熱心なんですが、江川からすればしつこい。
結局色々手回しした上で江川は象山の入門を認めます。
象山は江戸で入門したものの、その後すぐに江川が韮山に帰る時期になり、象山もそれを追いかけるようにして韮山に行ったのですが。
40日くらいで辞めて帰った。
……^▽^;

理由は様々に言われていますが、結局の所秘伝だとか秘書だとか言って肝心の砲術は教えてくれなかった、というのが象山側の言い分。
塾の柱になるのが心身鍛錬であったため、猟にも出てますし、塾生には朝の座学(論語の輪講など)の義務もありました。
象山が江戸で塾を開くほどの知識人であったことを考えると、そうした場に出ないといけないというのはさぞかし馬鹿らしかっただろうと思います。
砲術や大砲製造の技術を教えてもらいに来てるのになー。


うん、まあなんだ。
江川はね、象山には積極的に教える気がなかったんだと思う。

感情の行き違いというのも大きかろう。
まず、入門の仕方が強引すぎます。
老中の権力を傘に着て(と下位の江川からすればそう捉えられても仕方ない)、非常に断り辛い筋から来てごり押し的に入門したことも、面白くなかっただろう。
そして断ってるのに無理やり入門した挙句、塾の方針には文句かよ、とも、思えます。
しかも象山、韮山入りするのに江川の許可も得ずに松代藩の鉄とか銅を郵送している。
弾丸とか、銃とかを作るつもりだったみたい。
えー…それはちょっとフリーダムすぎやしないか…
便宜(という名の特別扱い)を期待していたと思われますが、そこまで江川は優しくなかった^^;


一番大きかったのは、当時江川の砲術の師である高島秋帆が冤罪で詮議の筋に引っかかっていたということがあります。
はい。
西洋憎しの鳥居耀蔵にロックオンされてましてん…
蛮社の獄と全く同じ方式で、高島は無実の罪に問われているという非常に微妙な時期でした。
捕縛されて江戸送りになり、江戸に到着した頃。
徳丸ヶ原の砲術演習以来、高島に藩士を弟子入りさせた藩は多かったのですが、公儀を憚って高島流を名乗るのを差し控えた程で、目立つ行動はとらないようにしていた。
ましてや江川と鳥居は開明派、旧守派として蛮社の獄以前よりの対立軸、いわば政敵です。

佐久間象山(と松代藩)に対する江川の心情を一言で表せば


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20140313.jpg


だったかと^^;
いやー相手鳥居耀蔵ですからね。何に難癖付けてくるか分かりませんよ、この方。
江川が慎重に行動していても、佐久間象山の性行考えたら、江戸に返した時どうなるか。

佐久間は老中真田公の股肱の臣ですからねえ。
それに高島秋帆が罪に問われる以前にも他の老中が家臣を高島に弟子入りさせたりしていることも、考慮すべきで。
佐久間が色んな所で我こそ高島流なりと吹聴して旧守派の神経を逆なでする可能性があることを思うと、なあ…

巡り合わせの悪さもさることながら、相性が超悪かったんだと思う。
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Comments

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2014-03-13 23:50 
ジゴロウ #31
人相の話ですが、正面からみた顔の耳の見え方で、性格とか能力的なものを出すものがあるそうですが、佐久間は、相当狷介固陋だそうです…

佐久間は様々なとこで、言われますね
2014-03-14 05:29  >ジゴロウさん
ヒジハラ #32[Edit]
耳の見え方で、ですかー。
佐久間は写真を見ると、耳が無いように見えますね^^;
狷介固陋か…人相もあんまり馬鹿にしたものでもないのか、たまたまドンピシャだったのか…

佐久間は本当になんともはや、という感じですが、紙一重的な人物じだなあとは思います、色々と^^;


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