Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

(4)間宮林蔵

この連載が楽しくて嬉しいのは私とジゴロウさんくらいじゃないかと思うと若干辛い。笑

江川太郎左衛門の蘭学の師(?)には幡崎鼎がいます。
幡崎は長崎、オランダ人館付きの小者でシーボルトに近侍していた。
そこでオランダ語を覚えたようですが、シーボルト事件に連座。
捕まってしまったものの脱走。^^;
大阪で蘭学塾を開き、後江戸に出て水戸藩のお抱えになっています。
その藩命で長崎に向かった際、正体がばれてしまいまして逮捕の憂き目にあっています。

江川との縁は江戸に出て以降のようですが、こうなってしまっては交流を続けることもできない。
江川が川路聖謨を通じて渡辺崋山と出会うのは、幡崎の捕縛があったためになります。
蘭学の師が欲しかったのね。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0231.jpg


シーボルト事件は、シーボルトが書物奉行兼天文方・高橋景保を介して、蝦夷地の押し葉を譲って欲しいという旨の書簡と更紗一反を間宮林蔵に送ったことが発端になっています。
間宮は外国人とのこうした私的交流は国法に触れると考え、シーボルトからの小包を開封せずにそのまま勘定奉行村垣淡路守に提出した。

この小包は長崎奉行所を介して長崎出島に返送されてます。
この時のシーボルトへの処置は、
「日本の法をよく知らない外国人であるのを考慮する、しかし今後はよく気を付けるように」
という程度であったみたい。

ただ、ここから高橋景保やその周辺への内偵が始まりまして、結果として江戸と長崎で高橋とシーボルトの捜査が行われることになった。
外国人と私的に交流し、物品を贈答して、しかも上司にも報告していない。
しかも高橋がシーボルトに渡していたのは伊能図(縮図)というご禁制の日本地図だった。
大問題です。

高橋は捕縛され獄死、死後に下った判決は死罪でした。
武士に、それも奉行職まで務めた武士に死罪というのはめちゃくちゃ厳しいお裁きで、当局の怒り具合が知られます。


シーボルトもなあ…
地図が禁制品だっちゅうのは知っていた筈です。
自分に便宜を図ってくれる人間がどれほどのリスクを背負っているかってのも、分かってたと思う。

シーボルトは長崎に鳴滝塾という塾を開き、日本人に西洋医術を教えていました。
で、生徒の中の貧しくて超優秀な者には特別に住み込みを許していた。
その代表が高野長英ですが、彼らに住処と食事を保証してやった。
ただこれ、無条件ではありませんで、食・住と引き換えにシーボルトの日本研究の補助をする義務があった。
内 密 に 。

………。
…………うん…確信犯ですよね……
こんな事ばれたらただでは済まないと分かってやっている(やらせている)。
人の足元を見てるっていうか、一種のあくどさを感じるのは私だけですか…


高橋と間宮が不仲であったことは当時から知られていました。
なので高橋が捕縛された際、間宮の行動はお上への密告だった等と言われ、上司を売った行為だと随分陰口を叩かれたようです。

まあ、幕臣としては正しい行為だったとは思う。
ただ書簡を勘定奉行に提出した時点で、間宮も大体どうなるかって分かっていたんじゃないかと思うんですよねえ…
極刑になるかどうかはとにかく、高橋に厳罰が下る事くらいは想像できただろう。
そこで斟酌しない所が間宮といえば間宮だと思う。真面目…
どちらというと間宮が悪者っぽいイメージが強い気がするけれど、良い悪いではなく、高橋と間宮、国を思う気持ちの方向性が少し違ったんだと思うなあ。


シーボルト事件は、いろんな人を不幸にしました。
間宮林蔵自身にもこの事件の影響を受けていて、北方探索を通じて集めていた尊敬や輿望が地に落ち、多くの人が離れていった。
測量や地図作成のための技術が必要という時点で、恐らく西洋技術に明るい蘭学者などとも交流があったと思うのですが、そういう人たちが疎遠になっていった。
そりゃそうですよね。
怖いと思う気持ちは、人情として分かります。
学者なんかは林蔵が来たら急いで地図や和蘭の書物を隠した、なんて書簡だったか日記だったかに書かれるほどです。


ランキング 日本ブログ村 ブログランキングならblogram

拍手いただきました方、ランキングクリックしてくださった方、ありがとうございました!


今日は寒かったー雪降っててびびった。


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_03100310.jpg

2月終わり頃からえらいことになってる…
分かります?棒らしきものがいっぱい生えてるの…

//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_03100314.jpg

悲しいことに春が間近である…(※冬が一番好き)
関連記事

Comments

post
2014-03-11 03:50 
ジゴロウ #27
この頃の蛮社のちょっと前とか西洋との交流辺りは、幕末よりも、ある意味殺伐としてますよね。

キャンプファイヤーでいったら、幕末が点火なら、木を積んでるころといいますか…

シーボルト前後は、幕府もうぶというか、冷静さを欠いてましたし…
2014-03-11 05:45  >ジゴロウさん
ヒジハラ #28[Edit]
木を積んでる…確かにそんな感じかもしれませんね~
ただ幕末の理解不能な尊王攘夷とか、あんな感じよりはこの頃の方が随分西洋に対する理解があったような気がします。
幕末の方は「西洋の脅威」が間近すぎてあんなアレルギーのような反応になったのだろうと思いますが。

シーボルト事件といい蛮社の獄といい、この事件がなかったら、もしくは違う経過を辿っていたら、後の歴史はどうなってたかな~と、幕府の為にも思わざるを得ない出来事だったと思います…
シーボルトを差し許して、本人の言う通り帰化させてたら、とか。
Comment form

Trackback

Trackback URL
Copyright © 土原ゆうき(ヒジハラ)