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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
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ダイバーシティ(3)

日本海海戦後、降伏の軍師としてロシアの旗艦ニコライ一世に向かった秋山真之に随行した山本信次郎。
この時には東郷平八郎とだけではなく、秋山とも結構な面識があったようです。


明治33年、秋山はイギリス駐在の任を解かれ帰国します。
帰国後は軍務局課員を経て常備艦隊参謀に補任(M33.10.31)。
これが丁度山本信次郎が常備艦隊付であった時期と重なっております。ちなみに当時の旗艦は常盤。
そして秋山異動の約1ヶ月後に山本が松島に異動している(M33.12.6)。

山本によると以下の回顧は「明治34年初め松島乗組み」時の話になっていて、これ「明治33年末常盤乗組み」時の話ではなかろうかと思ったのだけれど、書き方を見ていると記憶違いとか、そういう感じでも無さそうなんだよなあ。
山本が旗艦に乗組んだ理由が理由だったので、少し特殊な事情があったのかも?
そこら辺はよく分からん。

山本の話によると、秋山も山本自身も東郷平八郎常備艦隊司令長官の幕僚であった関係で、自然に懇意になったとあります。
山本がめっちゃ若かったというのもあるのでは?
少尉になりたてのペーペー(言ってみりゃ社会人1年生)(23才)で司令官の幕僚なんてまずないのでねえ。
秋山(33才)の方から声を懸けたのではないかなあと妄想。
そしてその時期の、秋山との一場面。


秋山真之


或る夜私が冬の渤海湾の凍てつくような晩の十二時までの当直を終わり(略)
士官次室の火鉢の傍で暖まっていると、何時も夜中過ぎまでも勉強しておられる参謀がそこに見え、色々と青年将校のためになるようなお話をされ、

殊に人間は幾ら天賦の才能を持っていても、結局勉強しなければ駄目だ

などと頻りに訓えられた事などもあった。
天才秋山君にしてあのように勉強されたのだとは、後年痛切に感じたのである。

この頃から特に氏の知遇を厚くした私は、色々とその親切なる指導も受け、終には海軍大学入学試験に応ずる前などにも、色々と貴重な意見を聞かせてもらったのである。


秋山が不断に勉強していたという話は、同期堀内三郎や部下であった清水輝美も話を残しています。
これは以前小柳史料について触れた時に紹介したことがあります。
特に清水は、


秋山さんは不世出の天才であったと同時に非常な努力家で、自ら習得したものはよく整理して次第に累積長養されたもので、彼の名戦術も名文章も決して偶然の産物ではなく努力の結晶と思う。


こう語っていて、秋山についての回顧で特に心に残っているのはこの文章です。
天才、天才と簡単に言われるけれど、彼を知る人々から見た秋山は努力する天才だった。
(秋山のこういう所が大好き…)


短いですが切りが良いので今回はここまで。
GWですが法事です。ひたすら疲れる。
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