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(3)江川太郎左衛門

いきなり(3)になった…(笑)

江川太郎左衛門が海防(とそれを通じて洋学)に興味を持った理由は渡辺崋山と同じです。
韮山代官の管轄支配地に海防上重要な地が含まれていたから。

ただ英龍の代でいきなりそうなったわけではなく、父・英毅の影響がかなりある。
江川英毅の時代は老中松平定信の時代と重なっていまして、日本の海岸にイギリスやロシア等の外国船がちらほらとやって来るようになったそんな頃になります。

松平定信が老中であった頃、江戸湾防備の準備の為に関東の海岸線を巡検しています。
房総、相模、伊豆の辺りは定信自らが出かけておりまして、江川英毅がその巡検に随行していた。
伊豆は正にお膝元だし相模にも支配地があるからなー。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/izu.jpg
(地図内、江川邸とあるのが韮山代官所があった所。代官所は不残、隣接の江川家私邸は現存しており重文指定)


支配地の地理的関係が大きな要因だったと思われますが、英毅自身も海防や測量について思う所が多かったようで、交流関係には伊能忠敬、間宮林蔵といった一流の測量家、探検家がいた。
伊能なんかは地図作成の測量で地元代官の協力がないと無理だっただろうしなあ…
間宮とはどういう経緯で懇意になったのかは知りませんが、多分江戸でだろう。

韮山代官所は江戸と韮山の2か所にありまして、この支配地のことはこちらで処理という感じだったそうです。
韮山の役所は上地図の江川邸跡ですが、江戸の役所は本所南割下水にありました。
で、お代官は何か月か交代で江戸と韮山を行き来していた。
3か月と読んだことがあるんだけど、ちょっと記憶が曖昧。

この英毅の交流関係が随分広く、伊能、間宮の他に杉田玄白や太田南畝、山東京伝、司馬江漢、歌川広重、藤田幽谷(東湖の父)、谷文晁、宇田川玄真、そういった人々の名前が挙げられる。
こうした交流関係が英龍に引き継がれています。

英毅は『海国兵談』も手に入れていたようで、いやー…禁書ですよね、当時の。
これは買ったものなのか写本なのか、よく分かりませんが、こういう立場の人が持っているってそこそこリスキーだったんじゃないかなぁ^^;

しかしながらこの父にしてこの子ありといいますか…
人間は2代から3代かけて作られるといいますが、江川英龍を見ていると正にそういうことを思います。


***


林子平の『海国兵談』は幕府の海防の不備を指摘した書で、松平定信の寛政の改革時に取締りの対象となりました。
禁書とされ勿論発行は禁止、版木は没収の上破却された。
子平自身は仙台蟄居になり2年後に没しています。
版木は没収されたものの子平は写本を作っており、それが密かに写され写されして伝わったといわれていますが、予約等で売れた40部弱はどうだったんだ。笑

江戸の発禁本 欲望と抑圧の近世』という本がありまして、題と表紙を見るとエロ本かという感じですが(……)さにあらず、江戸時代の軍学書や啓蒙書に関しての記述もあり、面白い話が載ってました。
なんでも『北海異談』という娯楽本、今で言う仮想戦記があったそうで。
内容は対ロシアとの騒動をテーマにとり、実際にあった出来事や『海国兵談』や大黒屋光太夫の流浪譚を織り込んだ読み物。
これが嘘の内容を広めて世間を騒がせたという点で幕府のタブーに引っ掛かり非常に厳しい処断を受けたそうです。
作者は晒首になっていた…

内容が一致している点から、作者は『海国兵談』を持っていたか、読んでいたか、とにかく内容は知っていて書いている。
禁書を使うことの危うさはわかっていて、そのあたり微妙に回避が図られていたようですが幕府的にはアウトだった。
面白いなーと思うのは、禁書になると途端に海賊版が増えたりして(笑)
批判的な動画が消されたら題を変えて爆発的に増えるネットの今と変わらんww

この本、本当に題と表紙だけを見ると好色本関係っぽいんですが、内容はどちらかというと幕府の出版統制の基準というかシステムというか、そういう話になっている。
面白い本だった。

江戸初期の軍学書ではでたらめなものが結構あったそうです。
理由は先祖の功績が自分の登用や高評価に繋がる可能性があるので、歴史を捏造する輩がいたそうで。
ただこうした過去の捏造で人材登用がされないことが明らかになってくると、今度は史料批判が始まったそうで、面白い流れだなーと思いながら読んでいました。

しかしながら読んでいて一番びっくりしたのは、平田国学の平田篤胤がロシア語の勉強をしていたことだった…
時代的には江川太郎左衛門や間宮林蔵と同時代の人で、確かにロシア船がやってきて悪さしたりとか、そんな時期だったんだけど。
ロシアに関する文書もあれこれあるそうで、これには本当にびっくりした。

ついでに林子平の話がないかと『江戸の禁書』という本を見たんですけど、これは江戸前期の話のみで子平の話はなかったわー
残念。

***


谷文晁は松平定信の巡検の際に画家として参加しており、その繋がりで英龍の絵画の師にもなっている。
谷文晁といえば渡辺崋山の師でもあり、このふたり、剣術のみらなず絵画の世界でも兄弟弟子だった。
後年英龍は崋山に絵の指南を請いますが、崋山はそれを断っています。
崋山は文人としての交わりではなく、政治に関わる士としての付き合いに重点を置きたかったみたい。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0034.jpg http://blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0020.jpg


渡辺崋山と江川は共通の知人が非常に多いんですよね…
斎藤弥九郎、藤田東湖、川路聖謨、羽倉簡堂、他もろもろ。
そういう共通の知人たちから崋山は江川の、江川は崋山の話を聞いていて、初めて会った時はやっと会えた、という感じだったし。笑
いつ会っていてもおかしくない環境だったと思うんですけど、意外と遅い。


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