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品川神社(2) 板垣退助墓所

品川神社


品川神社続き。
何気なく見ていたら社号標を記したのが清浦奎吾だった。
さりげなくビッグネームがあちらこちらに散っていますねえ。

前回の写真の方が分かりやすいですが、鳥居が面白かったです。
こういうのは見たことないなあ…登り竜と降り龍。

そして境内の奥にある本殿…


品川神社 


の更に奥にあったのが板垣退助の墓所(神社の裏)。
分かり辛い。
紙がぺーんと張ってあるだけで特に看板等もなく…


品川神社 


こ、これは見逃すわ~^^;


品川神社_板垣退助 


奥へ進むことしばし。とある区画に幾つかの墓石が並んでいました。
上に見えている写真の奥が板垣の墓所。


品川神社_板垣退助 


右側の方ですね。
奥に見えているのは板垣の妻のお墓。


品川神社_板垣退助


ちょっと調べてみたのですが、板垣はこちらにあった東海寺の塔頭高源院に葬られたそうです。
高源院は移転したものの、板垣家の墓所はこちらに残ったそうで。


品川神社_板垣退助


「板垣死すとも自由は死せず」の石碑も。筆跡は佐藤栄作。


板垣退助


板垣死すとも…は遭難した時に側にいた人がそういう意味の言葉を叫んだらしいのですが、ただ正確な所は分からないらしい。
当時の様子を見ていた密偵の報告に似たような言葉もあるようだし。
ただ板垣本人は岐阜事件での遭難については、あっという間の出来事で言葉が出なかったと言い残している。

岐阜事件が起きたのは明治15(1882)年。
板垣は長生きでして、亡くなったのは大正8(1919)年になります。
その間に「隈板内閣」で知られる政党内閣も大隈重信と共に立ち上げています(明治31(1898)年)。
なんだ、ここで死ななかったのかと初めて知った時私は思ったよ…
(思わず「死んでればドラマだったのに」と言い放ち爆笑された)

国文学者伊藤正雄が明治40年代に相撲を見に行った時、板垣退助を見たそうで、その時の印象が「この人まだ生きとったんか」
という感じ。笑
隈板内閣倒壊後、板垣は政界を引退していたので余計だったでしょう。
当時「自由死すとも板垣死せず」とか言われていたそうで、悪いと思いつつこれを見た時は爆笑した。

板垣、個人としては非常に美点・美徳の多い立派な人物(戦前の政治家はそういう人物が多い)。
でも政治家向きじゃねえなあ…
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