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「明治時代県政の記録」展@兵庫県公館(2)

兵庫県公館、伊藤博文


明治元(1868)年5月26日、東条慶次宛伊藤博文書簡。
読んでいてへえと思ったのですが、兵庫県、もしかしたら大阪の一部だったかも。

書簡の初めに、兵庫は県になり大坂の支配を免れ、太政官から直命を受けることになったとある。
現在の兵庫県域はかなり広いですが、当時の兵庫県は摂津と播磨のごく一部でした。
というのも当時はまだ藩が存在しております。
明治4(1872)年の廃藩置県までは各地の大名が各所領を治めておりますからね。

ですので、大阪府であったかもしれない”兵庫県”というのは、大名の所領以外の土地、つまり幕領であった土地になります。
それが廃藩置県で現在の兵庫県域は4県(兵庫県、飾磨県、豊岡県、名東県)になり、明治9年にこの4県が統合されて現域の兵庫県になった。
そして何故兵庫が大阪の支配に?ということですが、この辺りは大坂町奉行所の管轄であったため。

名東は淡路島(南側)です。
飾磨(しかま/西側)、豊岡(北側)だけでもかなり広域で、よくこの4県を統合しようと思ったな…
兵庫(東側)の辺りは今の阪神間に相当しますが、気候風土、言葉も随分違う。

まあそれはとにかく私明治初年の伊藤の書簡を見たのは初めてだわー。
署名が「俊介」になっている。
そしてもう少し伊藤関連のものを見たかったです…
以前来た時は伊藤直筆の入った杯などもあったのだが。笑

目的は伊藤の書簡だったので、余りにもあっさり終了。
寂しい。


兵庫県公館、伊能図 


別室の伊能図(大図の縮小版の兵庫県全域)見て退散致しました。
天ぷら定食まきのでお昼ごはん食べて早々に帰ってきた(揚げたて美味しかった…


兵庫県公館
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