Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

バトン

上村彦之丞は日露戦争の蔚山沖海戦で撃沈した露艦の将兵627人を救助したことでよく知られる提督でもあります。

『上村大将追悼録』には佐藤鉄太郎も寄稿していますが、やはり日露戦争時の話が中心でその話にも触れられている。
佐藤はこの話を割とあちこちでしているようですね。
確かに色々な面で話しやすい内容ではあると思う。


上村彦之丞 秋山真之 東郷平八郎 瓜生外吉 加藤友三郎 舟越楫四郎


其の当時上村将軍は日に月につもり来たりし我艦隊乗員の鬱憤の
或は露国艦隊の将卒に向て発せんことを惧れられたので殊更に
「捕虜を好遇せよ」との命令を発せられたのである。


大丈夫だろうか国の名誉を傷つけるようなことをしはしまいかと心配する佐藤先任参謀をよそに、日本の兵員達は捕虜となった露兵を大変丁寧に扱った。
兵員達の行動もさることながら、武士道を重んじ敵の将兵を厚遇した上村の態度が広く称賛されました。

上村のこうした行動は西郷隆盛の姿から学んだものであったようです。
具体的な話としては戊辰戦争の際の会津藩の降伏の話が出ていたのだけれど、庄内藩の事ではなかろうか…(東郷吉太郎の寄稿による)
曰く、


薩州の兵隊の居る宿舎は戸を閉め道路に居る兵隊には背面を向かしめ降将を見せしめなかつた
而して降将は礼を以て遇し決して辱かしむべきものではないと老西郷は云はれた(※土原註:と上村が言っていた)


私は知らなかったのだけれど、日清戦争時、秋津洲艦長であった上村は拿捕した敵艦操江の艦長以下を西郷同様に遇したらしい。
秋津洲に収容する際には総員を艦の前部へ移動させ、後甲板の人払いをした後、艦長室に降将を引見した。
そう東郷に話した上で「敵の降将を遇するに決して辱かしむべきものではない」と、今度は上村が東郷に伝えている。

東郷吉太郎(海兵13期)は日露戦争終盤時は朝日の副長でしたが、露艦アリョールを捕獲した際、上村の話をすぐに思い出したそうです。
アリョール艦長の死没に際しては、少なからぬ同情と礼儀を尽くさざるを得なかったと回顧している。

読んでいて、なるほどなあこうして受け継がれていくものなのだなと、正直感心しました。
げにありがたきは優れた先達かな。


こうした敵の名誉を重んじる行動については、同じく日清戦争時の連合艦隊司令長官伊東祐亨の話がよく知られています。
降伏を申し入れてきた敵将丁汝昌に対する扱い、また自殺した丁の遺骸をジャンクで送らせてくれと申し入れてきた清国側に激怒して決して許さなかったこと。
伊東は処分されるのを覚悟の上で独断で没収する筈であった商船をリストから外し、丁の棺を送らせています。


東郷平八郎 伊東祐亨 井上良馨


伊東もまた薩摩出身です。
薩摩だけではなかったと思うけれど(乃木希典の水師営の会見の例もあるし)、士風というものがあるのだろうなと思う。


先日鹿児島に行った際に、伊東祐亨の誕生地にも行ってきました。
清水馬場やったわ…!
桐野利秋さんちから近いやん…


伊東祐亨誕生地 


しっかし非常に冷たいこの仕打ち。
石が建っているだけで(しかもゴミステーション…)、伊東に関する解説版すらなかった。
凄い提督なんやぞ、伊東。
好きな提督だけに悲しいわ…
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Comments

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2016-11-26 02:58  気づきませんでした。
なかむらきりの #495
こんばんは。伊東祐亨生誕地の標柱があったんですね。
清水小学校が生誕地と聞き、随分前ですが、桐野宅跡地に行ったときに通りました。
校庭内に記念碑があるような話を聞き、道路から見て、それらしいものがあったのですが、はっきりわかりませんでした。
学校事務室まで聞きにいけば良かったのですが、時間もなく、諦めました。
先月、鹿児島に行った折、鹿児島の方の車で小学校横を通ったのですが、記憶と違ってそれらしいものも確認できませんでした。
もやもやしますが、来年9月までは確認はお預けです。

宇都谷へ行かれた写真を見て、桐野生誕地のような綺麗な標柱が建っていたのに、驚きました。宇都谷も最後に行ったのが8年前。(恥ず)
その折、田盧碑のお隣にお墓が建っていたのにびっくり。山下翁と同様に桐野と親交があったお家でした。
宇都谷へ行かれ、羨ましかったです。城山から見た種子島発射のロケットも。
それと東福寺の紅葉もです。(笑)
即宗院の中井弘さんのお墓は友人のお陰でお参りできましたが、そうですか、庭園公開のときもお墓までは行けないのですね。
山本権兵衛さんの生誕地碑を初めて見たときは、塀の上と唖然としましたが、ついにお隠れになってしまったんですね。

もうすぐ、桐野の誕生日ですね。土原様のようにお菓子作りが上手でないので、いつもケーキは買ってしまいます。(汗)
長くなり、失礼しました。
2016-11-27 11:16  >なかむらきりのさん
ヒジハラ #496[Edit]
伊東祐亨誕生地碑は、凄くこじんまりしておりまして、少しうろうろして探す程位ひっそりしておりました…(川に隣接しています)

桐野宅跡、石碑があったのですか?
私も取敢えず小学校の周辺は一周したのですが(不審者ですね)、気づきませんでした。
説明板らしきものもあったのですが、説明というよりは「半次郎」の宣伝か?という感じでしたし。
以前写真で見た時はちゃんとした説明があったのですが、場所が違ったのでしょうか…

田盧碑の辺りはあんなに立派な目印があると思わず、私も驚きました。
逆に桐野と別府の生誕地の標柱が無くなっていたので、あらま、と。
住宅地ですし近隣から苦情が出たのかな?^^;

佐賀人を匿ったという洞窟にも行きたくて近隣の方に伺ったのですが、平成5年の水害で山が崩れてなくなったとのこと。
7・8年前に見に行ったという方の話を聞いておりましたので、なんとなく消化不良で今に至っております。
そして現存している田盧に行こうかと思いきや、スズメバチが結構飛んでおりまして奥に進む勇気は流石にありませんでした。笑
機会があればまたとは思いますが、あそこまでは中々行き辛いですね…
そして冬に行くべきかと思いました。笑


即宗院はできたら墓参したかったのですが、関係者以外立ち入り禁止になっていました。
まあ時期的には仕方ないですね。
紅葉の時期は清水に次ぐ観光スポットですので。
しかしなかむらきりのさん、羨ましい…

山本生誕地、衝撃ですよね。笑
私も初めて見た時は驚きました。
塀の内側の建物を取り壊し?改修?だかで、シートが掛かっていました。
石碑はまた戻されるのだろうと思いますが、行った時に見られなかったのは残念でした。

12月はお誕生日の方多いですよね。笑
桐野、篠原、西郷が初旬に固まっておりますし。
先日作ったジェノワーズが余っているので、何を作ろうか画策中です。笑
買った方が絶対楽で美味しいのですけどねえ…
2016-11-27 14:53  文章がまずかったです。
なかむらきりの #497
桐野ではなく伊東祐亨の記念碑が小学校内にあると聞きまして、桐野宅地跡(駐車場)は説明板だけです。説明板も以前はまあまあ大きいものでしたが、映画「半次郎」の前に変わったと思います。伊東の生地碑は川のそばですね、有難うございます。

宇都谷の洞窟が崩れて残ってないというのは聞いてましたが、数年前の大雨で桐野が開墾した田畑も消滅したと栗原智久氏が書かれていました。
映画「半次郎」のとき、スタッフが奥の方まで(桐野たちが使った井戸跡があるとか)行かれたようですが、蝮が出るらしく長靴などで行かないと危険だとのことです。
なので、井戸跡は行きたいですが、怖いのでいつも田盧碑だけで帰っています。

即宗院は、友人が事前にお電話して見学のお願いをしました。見学途中に即宗院のお嬢様がワンコのお散歩をされているのに会いまして、お嬢様も不審者(笑)にチョイビックリされました。私達は敷地内で散歩ができてしまうのが凄いと思いました。

お菓子作り、買うのは勿論楽でしょうが、土原様のお菓子は美味しそうでいつも羨ましく思っています。ずぼらな性格の私は料理もいやです。(笑)
2016-11-29 07:47  >なかむらきりのさん
ヒジハラ #498[Edit]
すいません、読み違えてました…
伊東の誕生碑は本当にこじんまりしていて、周囲と馴染み過ぎていました。
地図を見ながら探しましたが、中々見逃しやすい感じです。
しかし桐野宅跡は昔からあの儘だったのですね。なんかえらくあっさりというか…
折角書くならもう少しちゃんとしたものにしてくれたらいいのにという感が強いです。

宇都谷、田畑も無くなっているのですか。
う~ん…何だか情報が新旧入り混じって錯綜しているような感じですね。
旅行前が非常にばたばたしていたので、私が余りちゃんと調べられていないというのが一番大きそうですが。
まあ常識的に考えて山が崩れたのに田が残っているというのはないか…
市街地から3・40分とはいえ、マムシとはやっぱり山の中ですねえ。
タクシーの運転手さんは市の一番端っこだとおっしゃってました。笑

見学の御願い!
その手がありましたか。それでOKされるのですね…
ちょっと敷居が高くてその手は思い浮かびませんでした。笑

お菓子は今は別ブログに分化したのでこちらでは載せていませんが、相変わらずの下手の横好きながらそろそろ「趣味はお菓子作り」と言ってもいいかなとは思いつつあります。笑
2017-03-27 17:01  今、鹿児島です。
なかむらきりの #519
こんにちは。昨日から来ております。
佐賀の息子宅に来たので、高速バスで鹿児島入りして、南洲顕彰館の村田新八展を見に来ました。
桐野の新しい書簡が展示されていました。

今日、姶良駅からタクシーで宇都谷の田盧碑に行きましたが、タクシー会社の電話受付の人も運転手さんも桐野を知らず、いささかショックでした。
9年前には新しいお墓が碑の横にあったのですが、無くなっておりまして驚きました。
実方のあと、清水小学校に行きました。
伊東祐亨の生誕碑は立派なのが、小学校内にあり、道路からも見えました。
「伊東元帥生誕碑」と島津忠重の書です。解説板は日に焼けて大分字が薄くなっていました。碑のすぐ後ろが稲荷川で、道路と小学校のプールの間です。池之上町から歩いて黒葛原橋を渡ったところです。
私は土原さまが見つけられた伊東生誕の標柱が見つかりませんでした。
川沿いとのことでしたが、一応清水小学校を一周しましたが、ダメでした。
2017-03-27 20:39  >なかむらきりのさん
ヒジハラ #520[Edit]
こんばんわ。
鹿児島におられるのですね!
桐野関連も色々回られているとの事、羨ましい(笑)
10年近くたつと色々変わるのですねえ…あったものが無くなったり…

前回言っておられた伊東誕生地ですね!
調べてみましたが、本当に立派な石碑ですね。私も小学校の周りは一周したのですが、何で気付かなかったのか…?^^;
次回行く時は探してみます。

この記事で上げた写真の場所はこちらです。
ttp://blog-imgs-104.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20170327203225ad7.jpg
(ttpの前にhをつけてください)
宜しければ参考までに。

個人的にはどうして小学校の方が分からず、こちらが見つかったのかが謎ですが(笑)
間違えて違う筋に入ってしまった時に偶然見つけて、それが桐野邸跡、小学校の伊東生誕地を見つけるより早かったので、余計に伊東生誕地を見つけられなかったのかもしれません。
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