Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

つれづれ

サイトで借りているとあるサービスが今月末で提供終了と言うことで、またもや全ページのタグをいじるとかいう地獄。

数えたら未更新含めて現在のページ総数686ページ…
ちなみに2014年は620、2011年は464ページでした。
1年で33ページ、大体30ページほど新規作成しているという計算。
そこそこ頑張ってるんじゃないの?(自分で言う)

まあそんなこんなで本当に久しぶりに創作ものなんかを読んだわけです。
自分では前九年ものに萌えた。笑(the・地産地消)
くそー私やっぱり安倍兄弟が好きだわー大好きだわー
短編は本当に萌え萌えしながら書いたのを覚えているw
それにうちの安倍兄弟、千世童清衡の従兄弟の関係が好きだと声を掛けて下さる方(神)も、ありがたくも結構おられて、これは本当に嬉しかった。
久しぶりに読んで、また書きたいなと思いましたよ。
成長した清衡の話とかさー。
文字にしたい妄想は色々とある。

今回月見坂を上って余計にあれこれと妄想が広がった(笑)


中尊寺参道(月見坂)

(月見坂=中尊寺参道)


旅行に行くと歴史上の人物の息遣いとか、そういうのを感じる。
だからできるだけ足を使いたいというのがある。
彼等と同じ距離を感じたい。

実際無理なことも多いけどさ…
ただ電車の距離に点在する史跡の様子を見ると、安倍の柵なら大抵北上川沿いにあるから、衣川館へ行く時は船だったんだろうなとか。
鳥海柵(とのみのさく、安倍宗任の居城)はちょっとした高台にあったから、川を挟んで向こうにある豊田館(藤原経清、清衡の居館があった)はよく見えただろうなとか、行き来があっただろうなとか。
本では知り得ないことを、旅行先で考えるのも楽しい。
金沢柵が思いの外山城だったというのも、行かなきゃわからなかったし。

創作にはそんなに時間を割くというつもりはなくて、いつも大体適当に…
とは思うのだけれど、やっぱりあれこれ気になって机の上がぐっちゃぐちゃになっていく。
一番しんどかったのは西南戦争関係でしたわ。

何でこんなことしてんのやろ…(真顔

と思いながら資料を読んでいた(笑)
地元図書館を通じて鹿児島からも本貸してもらったw
『薩南血涙史』に至っては買ってしまった。

この創作を書いていた時に見た鹿児島の地名で未だに忘れがたいのが、韃靼冬冬。
何て読むの?
だったんふゆふゆ?だったんとうとう?
いや、違うよな…
鹿児島の住宅地図を見ていて、この地名の付近に「たんたど」というバス停があったので、これっぽいと思ったんですね。

そうしたら後日鹿児島より借りた本に撻鼕々(たんたとう)という地名を発見した。
位置から類推して多分同じ場所を指している。
で、同じ読みで、撻々鼕とも都曇荅臘とも書いたりしていたようです。
撻鼕々は鼓の事であるとか、催馬楽(地名です)の太鼓の音が靼々鼕々と聞こえたから、それを地名にしたという話がある、とあった。

この本、戦前の本だったんです。
戦前にして既に明治初期頃の地名が不明。
これが結構な驚きだった。
多分明治10年頃は韃靼冬冬は「たんたとう」と呼ばれていたんじゃないかと思うのですが。

いずれにせよ難読地名には変わりない。笑
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