Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

シーボルト事件

こちらの続き。(続いてたんか

高橋至時(よしとき)は江戸で病死しますが、その原因が先日書いた「ラランデ暦書管見」。
この翻訳は至時の嫡男高橋景保と間重富に引き継がれます。

高橋景保も今まで何度も出ております。
父が亡くなった後、二十歳位で跡目相続、最終的には書物奉行天文方。
『幕府天文方書物奉行 高橋景保一件』という書籍(小説)があるのだけれど、書物”奉行”の方が天文”方”よりも役職は上なので天文方が先に来るのはおかしいですねそうですね。チェックしないのか。

高橋は書物奉行と天文方を兼任していました。
書物奉行は将軍の図書館(御文庫・いわゆる紅葉山文庫です)の管理責任者になります。
ちなみに先日名前を出した近藤重蔵は大坂に来る前書物奉行を勤めていた。

高橋は御禁制の品である伊能図をシーボルトに渡していた廉で検挙され、伝馬町に投獄されそこで病死している。
地図が禁制?と思われるかもしれませんが、軍事上国防上の問題からです。
御文庫にある禁制品をよりにもよってその管理責任者がよりにもよって外国人に渡していたという事実は、幕府にとってはかなりショックであったと思われます。
亡くなった後の処分が滅茶苦茶厳しい。

重罪犯を裁く際、本人が亡くなっていたとしても、判決を下した後にその処分は実行されます。
なんのこっちゃという感じですが、判決が出るまでは遺体は保存、切腹なら遺体を引き出して切腹させ、斬罪なら遺体を引き出して斬罪に処す。

大塩平八郎も似たような感じです。
乱の後、大坂の商家に潜伏していたのが露見した大塩父子は自刃、その場に火を放った為焼け焦げた遺体が現場から引き揚げられている。
で、判決後、塩漬けにされていた真っ黒焦げの遺体は市中引き回しの上飛田刑場で磔にされています。
人相風体が分からない遺体が磔にされるという、本当に異様な光景であったようです。
だから死後何年経っても大塩さんは生きていると大坂では言われていたのですね。


大塩平八郎父子墓所 大塩父子墓所(成正寺)@大阪


高橋景保は斬首を申し渡されております。
奉行まで務めた武士に斬首と言うのはよっぽどで、普通は切腹やで…
それだけ幕府の怒りとショックが大きかったという事か。

で、今回書きたいのは高橋の斬罪の話ではなく、その原因になったシーボルト事件の話。

(…という所で今日の話が終わる。笑)
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