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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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サイト更新 広瀬武夫人物関連数珠繋ぎ12

■サイト更新 広瀬武夫【数珠を繋ぐ12】

第12回。
内田良平(柔道)→末永節(扶桑)→国木田独歩→押川春浪→
川上俊彦・常盤(汁粉)→生方敏郎→広瀬中佐銅像→辰野隆→
上泉徳弥→財部彪→田中義一→江頭安太郎・安保清種→三宅雪嶺→広瀬武夫
                   ↑今ここ

あーとーいーちーわー!
今回は江頭安太郎と安保さん。
明治24~25(1891~2)年の海兵18期の遠洋航海時の話になります。
この遠洋航海の際、24年の10月4日に練習艦比叡(と金剛)は大変な暴風雨に見舞われまして、ベテランでさえフネ沈むんちゃうかと心配したほどであったそうです。
風と波に揉まれて船の傾斜が凄かったようで、体感的には絶叫マシーンが近そうだと想像。
そしてこの辺りは広瀬武夫の『航南私記』(この遠洋航海の紀行)でも一番の盛り上がりを見せる箇所になっています。

この嵐については安保清種の回想もありまして、今回の更新ではそちらを紹介しております。
安保の回想を読むと確かに大変だったようなのですが、ただ彼ら18期は卒業したての少尉候補生で、
「台風ってこんなんなんだ~大変なんだな~」
…という感じだったみたいよ。ほら、知らんからね…^^;
呑気でよろしい。

そして最後の方に三宅雪嶺の名前(だけ)が出てきます。
次回への引きってやつです。へへ。
この連載、本当は第12回で終了する予定でしたが三宅の話が思いの外長くなってしまったので分割しました。
この際なので出し惜しみます。笑

この遠洋航海時、三宅雪嶺も比叡に便乗しておりました。
そして三宅もこの嵐について書き残しているという。
誰にとっても印象に残る大嵐であったようですが、この話はまた次回の紹介。

お時間がありましたらどうぞ遊びに来てください。
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