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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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追い手に帆かけて

引き続き岡田貞寛『海軍思い出すまま』からです。
面白い話が結構あった。

金毘羅さんの話があったのですよ(「金ぴらさんのお賽銭」)。
実は母の実家から金毘羅さんまで歩いて15分っちゅうね。
香川に行った時は散歩がてら毎日必ず金毘羅さんにお参りするという自分ルール。
というか田舎なので金毘羅さんしか出かける所がないのだ。笑
高杉晋作に関係する史跡もありますが、石碑だけなので。

それでも自転車で15分位すっ飛ばせば善通寺には行ける。
善通寺には第11師団司令部の跡がそのまま残っています。
初代師団長が乃木希典でして、現在”乃木館”として遺品が展示されています。
乃木に限らず歴代師団長の遺品や遺筆が残っている。
マレーの虎・山下奉文が着用していた軍服等もあります。
善通寺は戦災に遭わずに済んだので師団司令部も残っているし、偕行社も残っています。
どちらも結構前(10年近く前かな)に改修されて綺麗になっている筈。

こんぴらさんと呼ぶことが多いのですが、正しくは金刀比羅宮。
海の神様で海上安全の関係から、昔から船乗りの信仰が多く集まる神様です。
農業や芸能の神様でもある。
境内に絵馬堂があるのですが、船舶の写真に海上安全祈願なんて書かれているものが多く飾られている。
中には護衛艦の写真もあります。


本宮に上がる手前には掃海殉職者顕彰碑がある。
目の前に本宮が見えているのであまり寄って行く人がいないのですよ。
もしかしたら訪れたことがあっても存在を知らない人が多いかもしれない。
写真があればいいのだけれど、自分にとってはあまりに身近すぎて却って撮影の機会がない。


昭和20(1945)年8月に敗戦を迎えた際、日本の主要港や周辺海域には日米軍が敷設した機雷が約6.7万個。
瀬戸内海は機雷のみならず沈没船にも航路を塞がれ、海上交通不能といったような状態だったそうです。
これら機雷の除去に当たったのが、敗戦翌月に海軍省軍務局に設置された掃海部。
同年11月海軍が無くなった後は復員省に引き継がれている。

掃海作業は昭和27年頃まで続いているのですが、
当然ながら危険な職務で、触雷で沈んだ船もあり79名の方が殉職されています。
その慰霊碑が金毘羅さんにある。
毎年5月最終土曜日に海上自衛隊が追悼式を行っています。

慰霊碑だけではなくて、作業服?(宇宙服みたいなん)とか、道具?が展示されていた記憶がある。
まだあるのかと思ってググってみたのだけれど、それらしい画像は出てこないなあ…
無くなったのかな。


ごめーん、続くー(またか
まさかの前振りで終わったー(笑)
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