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今日の財部日記(9) 伊木壮次郎5

 日本郵船のロシア語研究生・東健次という変名で、ウラジオストクで軍事スパイをしていたという伊木壮次郎。
財部彪、広瀬武夫の1級上の海軍兵学校14期。
広瀬はロシア・ロシア語という点、財部は日本郵船という点で繋がりがありそうかなと思われます。


伊木壮次郎


ただウラジオにスパイで派遣されたというだけでロシア語を解していた人物だったかとは断じられないかなとは、と我ながら思いますが。
この辺りはやや判断に苦しむ所ではあるけれど、一緒に遊ぶメンバーの名前には入っていたようなので、ロシア繋がりでなくても仲は良かったのだろう。


そして財部彪と日本郵船?という感じだと思いますが。
財部には須田利信という親戚がいる。
『財部彪日記ー海軍次官時代ー』には親戚としか書かれていないのだけれど、調べたら須田の妻あきるが財部盛邦長女とのことで、財部彪とは姻戚のようです。
財部盛邦はよくわからないのですが、アジ歴で出てきた文書を見ると医者であったようです。
財部彪との関係は不明。
そして須田は財部が東京遊学の際(兵学校入校前)、資金的に苦しかった時に援助してくれたとのこと。


この須田氏、実は結構なエリート。
工部省、農商務省、逓信省に勤めて明治20(1887)年に日本郵船入社、その後4年間イギリス留学。
うーん。日本郵船にいるというだけでとりあえずは当時の勝ち組だと思う…
日本郵船は汽船三菱(三菱)と共同運輸(政府系)が合併してできた海運会社です。
ほぼ三菱系。
この日本郵船で大正4(1915)年には副社長。
ついでに日清・日露戦争、第1次世界大戦では叙勲を受けている。

明治30(1897)年の須田は日本郵船の監督という肩書き。
”監督”がどういう立場かはよく分からないので、日本郵船の”ロシア語研究生”の実態がどんなもんであったか、知っていたかどうかは不明。
知ってても財部に話していたかどうか…
ちょっと怪しいか(笑)


アジ歴を見るとウラジオストクに日本郵船の支店が置かれたのが明治29(1896)年4月なのですよ。
それまでは代理店が置かれていた。
支店に切り替った理由は社運隆盛のため(アジ歴#B11092427500)。
業績が良くなってきたため。

この時ウラジオ支店の支店長になったのが寺見機一という人物。
更にアジ歴を見るとこの方外務省の人間で、浦潮港貿易事務官だった。
あらー
経歴見ると浅野セメント社員→貿易事務官→日本郵船社員だったらしいけれど、うーん。
これ…^^;
み、民間人…?
(ググるとコトバンクでも出ていたので、それなりに有名な人物なのか…)

そしてだね、「正六位寺見機一叙勲ノ件」(A10112483200、明治31年)を見ると、


日本郵船会社支配人ト為リ
露領浦塩斯徳港出張以来参謀本部ノ嘱托ニ依リ密ニ軍事ヲ諜報
屡有益ノ材料ヲ回致シ <略>
(※太字は土原)


あらー


寺見死後の明治36年末(日露戦争直前)には参謀本部が偵察業務に携わり貢献するところ少なからずということで、遺族に賞与を与えたいという申請を陸軍大臣にしてますわ。
支店長時代に陸軍から5名の”派遣員”が送られていたが、彼らの任務遂行にも少なからず助力した(#C10071300700)、そうで。
陸相からはOKが出ていて、結果はどうなったか不明ですが恐らく実行されたのではないか。


つづく!(笑)
終わらん…
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