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今日の財部日記(8) 伊木壮次郎4

『東亜先覚志士記伝』より。





おー…いきなり違う…(笑)
入校明治18(1885)年、卒業22年だと15期になってしまう。笑
卒業は20年です…

入校は『海軍兵学校沿革』を確認したのですけど、名前がない。笑
鹿児島の富永壮次郎という人ならいるのだけれど、伊木姓がいない。
そして明治20年に突如として伊木壮次郎が現れるのであった…

実は最近『沿革』は名前の誤字誤植が多いのではないかという気がしている。
大澤が太澤だったりするし。いきなり苗字が変わっている人もいるし。
財部のように入校時は違う苗字(児玉)の人も、確かにいるのですが。

多分同じ人じゃないかなあ…
そして17年の入校だと思う。
この辺りはアジ歴の史料を探せばありそうですが、そこまでする必要性を感じないのでスルー。





そして日清戦争で活躍したらしい。
『日清戦争実記』あたりを確認すれば名前を探せそうですが、そこまではいい。
で、写真の後3行ですね(途切れてますが)。

明治29年その筋の密命を帯びてウラジオに渡り、日本郵船のロシア語研究生と称して東健次の変名で秘密活動に従った。
しかしロシア官憲より軍事探偵と疑われ、国際問題化しそうになったため、累を国家に及ぼさないようウラジオにて自殺(明治30年1月20日)。
ただ当時その真相は秘せられたため、世の知る所とはならなかった。
31歳、墓所は鹿児島の大徳寺墓地。

はい。
『ロシヤにおける広瀬武夫』の記述はここから来てますね。
内容が同一。

『東亜先覚志士記伝』の出版年は昭和10~11(1935-36)年。
30年以上経過していて関係者から話が漏れているということもありますが、編者はどうやって知ったのか。
出版元も編集も黒龍会なので伝手は有り余るほどあったと思いますが。

それはいいのですが、明治30(1897)年当時の広瀬武夫や財部彪はこういう事、知っていたのかと。
正式には知らなかっただろうけれど、いきなり仲の良い人が神経衰弱とかで姿を消したら怪しむわな。
まあ…言わなくても薄々は分かっていのではないかと思います。暗黙の了解的な?

それに日本郵船のロシア語研究生という辺りがね。
広瀬も財部も結構濃い付き合いがあったのではとも思う。

広瀬は勿論ロシア(語)という点。
財部は日本郵船という点。


もう少し続く。
細切れですいません…


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