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今日の財部日記(5) 伊木壮次郎

先日も書きましたが、財部彪日記に夢中になり過ぎて色々疎かになっています。スマン。
財部君面白い。
前はプリントアウトの読み直しをしていると書きましたが、更に修正をかけて今もう一度読み直し。
読み飛ばしていた箇所で広瀬武夫さん(30)の名前を見つけて、あー、見逃してたかーと思うような所も。

そうなのよー財部君が寝過ごした時に広瀬も同じフネに乗ってたのよー
気付いてなかった☆(キモい)
フネって当時の旗艦松島なんやけどな、軍令部から演習視察の為陪乗していた。
ちなみに財部君は当時常備艦隊参謀である。
参謀が寝過ごしてたらあかんやろう。艦隊運動が始まっているのに気付かんかったとかあかんやろう。笑

公文備考を調べたら、明治30(1897)年3月に実施された横須賀鎮守府の海軍小演習でした。
軍令部からの陪従員として松島に乗組んだのは大尉3人。
広瀬と大澤喜七郎(14期)ともうひとり(薄くて字が読めない)。
あと同じく軍令部から土屋保大尉(9期)が扶桑に乗っている。多分(読みづらい)
このうち大澤が途中で鎮遠に移動していることが書かれていて、その他は触れられていないので、約2週間近く広瀬は松島に乗っていたと思われます。
同じ軍艦に乗っているなら毎日のように接触があっただろうに、なーんにも書かれてないわー
ちょっとー財部くーん?(笑)


この財部日記を見てきた昨年11月初旬のブログで、伊木って誰という話を書いたのですが。
誰?と書いたものの、どこかで聞いたことがあると思いつらつら考えるに、『広瀬武夫全集』に1ヶ所名前が出ていたなと思い出す。(1月頃)(どれだけ前

広瀬が”伊木氏”から貴島清の話を聞いているのね。
驍将貴島清は薩摩の人。
明治6(1871)年の征韓論争で西郷隆盛が薩摩に帰った時はそのまま残ったのだけれど、後に帰鹿。
征韓論に賛同した為ではない。
私学校党にも明治10(1877)年の暴発にも反対で、当初は西南戦争にも参加していなかった。
ただ薩軍の劣勢が伝わると一転、参加しています(後鹿児島、城山下の米倉で戦死)。
桐野利秋とは仲が良かったそうで。

広瀬達の世代且つ他県民が貴島清についてさほど知っていたとも思えないのですよねえ。
そんなこんなで伊木は苗字からしても鹿児島出身者かと思い、その辺りから海兵14期の伊木壮次郎かと思ったのよ。
まあ、うん。
財部日記を見ると、恐らく同一人物だし伊木壮次郎で合っていると思われます。

ただこの伊木、早世した。
財部は山本権兵衛の長女と結婚後、故郷の都城と鹿児島に行っているのだけれど、その時に伊木のお墓参りに行っている。
アジ歴で調べると伊木は故郷鹿児島での転地療養後、明治30年1月に病気で亡くなった。
…ことになっている。


ごめん、続く!


そう言えば何でこんな間違いをと思う所が。
秋山真之の兄岡正夫と書いたのですが、岡正矣です。すまーん。
(修正済み)

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