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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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『明治維新』

明治維新 1858-1881』を読んでいるのですが、これが面白いです。
現在2周目。

この本では安政5年の日米通商通行条約から明治14年迄を一括りとして扱っているので、題に出ている年代に幅がある。
今までなんだかよく分からなかった薩長土肥の肥前と大阪会議の意味がよく分かりました。
今更ながら。笑

個人的にはずっと不思議だったのです。
幕末で有力諸侯、諸藩と言えばまず薩摩。そして福井、肥前と来て土佐になります。
ただ御一新の際に福井と肥前は挙藩一致で新政府に参加するという事にはならなかった。
なーんで没落しちゃったかな。特に肥前…

薩長土肥とは言うものの、佐賀から新政府に登用された有名人は江藤新平、大木喬任、副島種臣、大隈重信ぐらい。
しかもこの方々徒党を組んで政治的な動きをするという事もしないので、個人的には藩閥の一角に入れていいのかこの人たち…という感じが^^;

そして幕末の佐賀と言えば鍋島閑叟の先見の明とリーダーシップで商売をして武器を買う(幕末時の富国強兵のスタイル)。
それが随分大規模で、銃器の他に軍艦なんかも何隻か外国から輸入しています。
しかしその割には戊辰戦争あたりでも全然名前を聞かないよね…
何でなのかしらねーというのが長年の疑問でしたが、あっさり解決した。笑

トップが英邁かつリーダーシップが強すぎて、他藩(例えば薩摩藩や土佐藩)と交流したり情報交換をしなくても自藩の力だけで目的(富国強兵)を達成できていたからだそうだ。
しかも藩士が他藩士との交流が少ない=交流の訓練をされていないので、どうしても旧佐賀藩士は単独での動きが目立ってしまう。
何か事を起こす時にインディビジュアルでの動きになってしまう。
佐賀藩の強みだった点が裏目に出てしまった。

そう考えると福井藩も同じで、松平春嶽が横井小楠を招聘はしたものの、それを途中で大否定していますからねえ。
結果的には更に元に戻るのだけど、そこでものすごいロスが…
これって幕末維新だけの話ではなくて、現代にも通じるのではないかなーと思います。


あと幕末の2大潮流であった「富国強兵」と「公議輿論」が維新を経て、明治初期の指導者たちの中でどう変わっていったかという話が大変面白かったです。
富国強兵が殖産興業(大久保利通)、強兵(西郷隆盛)に、公議輿論が憲法(木戸孝允)、議会(板垣退助)に分かれ、これが明治の指導者たちの複数目的になっていく。
4派に分かれたからといって各々が各々の目標だけを追うのではなく、優先順位や自派の利害得失を鑑みながら手を組んだり離れたり。

それに他派への理解がないのではなく、みんな他派に対するある一定の認識は持っている。
全員がある共通基盤を持っている上で違う目的を追っているという話で、これが諍いはあってもそれが回復しがたい決裂までには至らなかった理由のひとつとして挙がっていて、興味深かったです。

不思議だったんですよねえ。
明治6年に征韓論で西郷隆盛以下が下野するでしょ?
明治10年に西南戦争が起こるまでに4年あり、その間でも東京に残った人々とは手紙のやり取りとか、してるんですよね。

征韓論での下野ってかなり大きな決裂で、ある意味決別だと思うんですよ。
でも交流が断絶したわけじゃない。
どういう事なのかと思っていたんですけど、多分これ、同じ理由だと思う。


明治と大正後期~昭和の政治と軍事の指導者層における決定的な違いはまさにここ、指導者層の共通基盤の有無にあると思うのだけれど、これがね…
難しいよね。学術的には。
実は私、学生時代にゼミの先生に指摘されたことある。

言いたいことは分かるけど、それは史料的な裏付けが必要だよね。

…oh…いや、そうなんですけどね……orz
司馬遼太郎みたいに簡単に幕末からの共通認識でって書けたらどんなに楽か(笑)
本の中ではその”共通認識”の事に触れられていて、それだけでも私にとっては非常にめっけもんでした。

後は薩摩の同志的結合の強さ。
知っていても、これは読んでいてちょっとドキドキする。


そしてこの本、『未完の明治維新』と併せて読んだらもっと面白いのではないのかと…
でもその前に私は江藤新平の本を幾らか片付けたい。

九州旅行の件ですが、ちょっくら江藤新平に会いに行こうと思ってさー。
佐賀は行ったことない訳ではないのだけれど、何せ吉野ヶ里遺跡と有田陶磁美術館だけというピンポイントで。
ここ以外は車から降りてもいないという…^^;
研修旅行だったから仕方ない。

まあそんな感じなのですが、想像以上に史跡の情報がなくて困ってます。佐賀…
るるぶとかまっぷるとか一般の旅行案内も本当に全然ない(笑)
佐賀の大阪事務所にも行ったのだけど、週末閉まってるし!(笑)
行かないと分からないというパターンが一番困る。
向井弥一生誕地とかいう石碑とかないかしら… 
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Comments

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2015-08-04 00:08 
ジゴロウ #327
大分、小説に偏ってるかも知れませんが…

佐賀は長崎警備もやってたから、薩長みたいに戦争しなくても、外国をよく知ってしまってたから、他の藩や幕府にも、
『あいつら今頃なに騒いでんだ?』
みたいな感じがします。
司馬さんの『歳月』でも、他藩と交流はダメ、江戸などの藩邸には、ほとんどいるだけの無能しかえらばないとかで、機密性も徹底してたとかかれてましたし。

戊辰なんかでも、秋田や箱館には投入されたりはしてましたけど、やはりなんか地味…でも、いないと困るみたいでしたしね。

そういう国民性が、佐賀には感じます。
2015-08-04 05:46  >ジゴロウさん
ヒジハラ #328[Edit]
海外を知るという意味では確かに九州の諸藩は他と比較するとよく知っていたでしょうね。
確か北九州に位置する藩には長崎防備が課せられていた筈ですし。
無用に恐れるより利用する方が…という感じがあったのかと思います。
そういう意味では佐賀藩は他藩を相当先取りしていたと思うんですよねえ。

『歳月』懐かしいです。笑
大好きなのですが、司馬遼太郎の本とは距離を置いていてもう細かい所は本当に忘却の彼方で。笑
開けているのか、閉鎖的なのか…
佐賀の特色なのかもしれませんね。
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