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サイト更新 広瀬武夫

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・広瀬武夫 【 数珠を繋ぐ(9) 】

最終更新が去年の6月1日やった。
しかも最後のページ、この前の改定で間違って下ろしたままになっているし。


広瀬武夫関連で人物数珠繋ぎという題そのままの連載です。
この回までは前ブログで更新していたものですが、下ろしてもう随分経過しているので皆さん程よく忘却の彼方かと思います。
新鮮な気持ちでどうぞ!(いい笑顔)


(9)は上泉徳弥から財部彪へ。
日露戦争が始まる2・3年前の話が中心になります。
上泉の話は何度か書いたことがあるネタですが、財部の方は初めて書く話です。
大して文量はないけど。
ただ中枢に近い所にいる人はやっていることが違うわーということがよく分かります…

電報の運用(というか取扱い)に問題があったのでその改正をしたり。
それと同様に海軍信号の改定にも着手していて、それは秋山真之と一緒に行っていたようです。
注でも少し触れたのだけれど財部曰く周囲の反対を押し切って行い、実用にこぎつけたのは明治36年12月。
驚きました。
日露戦争の開始、翌年2月初旬ですよ。
連合艦隊の参謀に転出した秋山が率先して使ってくれたから上手くいったとのこと。
よく間に合ったね。
若い頃から大枠の仕組みを考えたり、変えたりする方にいる人だったんですねえ。

次回は財部から児玉源太郎の話になります。
これもあまり言及されない話だろうなあ…
あと財部のそれ言って良かったの?(真顔)という衝撃のカミングアウト。

この話、(12)の途中までは書いてあるのです。2年位前にorz
はよ更新せいと自分でも思う。笑

先日野間口兼雄の名前を出した云々と書きましたが、数珠繋ぎの中ででした。
まだ更新してない所やった。
いやーすいません。笑。


宜しかったら遊びに来てください。


***


日露戦争の陸戦の方で今月新刊が出ます。(出ました?)
私凄く読みたい。
長南政義さんの『新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説』 、ふんだんに新史料を使われています。
特に第3軍関連に関しては本当に研究史がガラッと大きく変わるだろう。
ただ結構なページ数で値段も値段^^;
図書館に入るだろうからそれを借りようかと思うけど、まだ当分先だわ…
「軍事情報」(メルマガ)でも今までいくらか連載を読んできましたが、この方の話はかなり面白いです。
専門の先生なので当たり前だけど…


4月から産経新聞で昭和天皇の伝記が連載されています。
敗戦時の話から始まり、今は幼少期。
川村純義の家に預けられていたことは知っていたのですが、あまり詳しい話は知らない(養育中に川村が亡くなり後木戸家へ)。
2歳頃、嫌いな食べ物を出されて「これいやー」。嫌々期か。笑
そうしたら川村が「食べんでよろしい」「じじいはもうご飯を差し上げません」
宮様、泣いて謝ったらしい。
ちょっと笑った。どこも一緒か。
確かに宮中で育てられたらこういう風には出来ないだろうなあ…

今は昭和天皇が学習院で学ばれていた時の院長であった乃木希典の話です。
ただ今日露戦争の旅順総攻撃の話の真っ最中。
この連載、上の長南さんの史料に目を通して書かれているので、感情的な感じでなくていい。

はい、出典が必要とみられる参考資料が注釈で出ているのですよ~
新聞連載とは言えこれは大変うれしい。
でも原敬日記の注釈、編者・原奎一郎が原敬の甥になっていた。orz
間違いすぎです。原敬の姪の子供です。
もっと言えば養嗣子と書いた方がいいと思う。
原敬の跡継ぎやで、貢さん。
ウィキペディアで調べてそのまま確認してないんじゃないか、これ。
わざわざ書いた上で間違うってどうなのかしら。


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