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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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固め修めし大八洲(6)

戦艦八島の話が政治の話に移り変わりつつあるよ。どうして。

明治27年の日清戦争で日本は勝利を収めます。
戦後の下関条約で得たものは澎湖諸島・遼東半島・台湾の割譲、あと賠償金2億両。
が、三国干渉(ドイツ、フランス、ロシア)で遼東半島は返還することになります。

この一事で政府や国家上層のロシアに対する警戒感が非常に高まった。
陸海軍という当事者のみならず、政治家も軍拡と近代化が急務であると強く認識するようになります。


ただ軍拡も近代化もお金が必要なんですよ。はい。
実際、日清戦争で得た賠償金の7~8割が軍事費で消えている。
それでも足りない。
なら税金を上げるしかない。
当時所得税もあるんですが、これは年収300円以上の人間が対象で数としては少ない。一握りです(2%)。
それでやっぱり税収の主軸である地租が対象になる(国家歳入の大部分でした)。

地租払っている層ってね、選挙権を持っている層なんです。
当時、選挙権は直接国税(地租、所得税、営業税)15円以上を払っている25歳以上の男子に限られます。
国民の1.1%。(世界的に見ても少ない数ではないそうです)
この人たち、自由党とか改進党とか、いわゆる民党の支持基盤なんである。
つまりこういう構図になる。


政府や軍、国家首脳…国際情勢怖すぎ。軍拡したい→地租上げたい
民党…地租増徴は支持基盤を失う。民力休養を掲げて党勢を拡張したい


これがまたえらいこっちゃという感じなのですわー。
何故かと言うに、当時、日清戦争後~明治30年代前半ですが、議会の半分~3分の2が民党なんですよ。
こんなん、政府の言い分通すの無理やで。

ではどうするか。
進歩党の大隈重信や自由党の板垣退助を取り込んで、政党と提携しようとする動きが出てきます。
当然ながら。
ただそれがうまくいかない。

政党の方もね、自分たちの意見を容れないと内閣の政権運用がスムーズにいかないことが分かっています。
だから、政府の足元を見てどんどん要求をエスカレートさせていく。
山縣有朋が政党嫌いになる理由分かるわ。


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しかし山縣のカウンターパートである伊藤博文はもう少し柔軟だった。
対立してもどうしようもできないなら、政党を取り込むしかない。

「だったら自分で政党を作ったらいい」


出た結論はこれで、出来た政党が立憲政友会になります(明治33年)。


ただ伊藤がここに行きついたのは、本当にせっぱつまっていたからだと思います…
政党に増税案を否決されて第2次伊藤内閣(M29)では総辞職、第3次(M31)では議会解散。


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そうしている間にも隣国清国がどんどん列強の食い物にされていく。
膠州湾をドイツに取られ、旅順大連をロシアに租借され…
それを横目で見ながら政権運営している伊藤(伊藤に限らないけど)は滅茶苦茶焦る。
怖すぎる。
当時出された増税案は軍事的な危機を実際に目の当たりにしてのものでした。


ただもう政党との対立が激し過ぎ、にっちもさっちもいかなくなって、1回政党にやらせてみろや(やらせて失敗させろ)、ということになった。
そこで成立したのが隈板内閣。明治31年。
広瀬武夫さんがロシアに行って半年ぐらいの頃。


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しかし政党の内閣になっても軍拡は必要な訳ですよ。
政党側がどう言い募っても、結局その方向に進まざるを得ない。
ただ「民力休養」で地租減税をずっと叫んできた手前もあるし、支持基盤が支持基盤なので、地租増徴は出来ません。

じゃあどうするの?

はい。
他の税金が導入されました…
酒と砂糖に消費税が新しくかかることになりました。

自分たちの都合の悪い所からは税金を取らずに、直接国税を払えない層から広く薄く税金を取る。
こんなんね、まさしく党利党略ですよ。
これには政権与党内からも批判の声が上がったみたい。


隈板内閣は日本で初めての政党内閣と言われますが、内実は本当に酷いものだった。
急場拵えの提携、内閣であったので統一される際に進歩・自由2党の理念の一致も合意もない。
閣僚ポストの配分で対立し、猟官運動は過熱し、党利党略で消費税。
結果4か月で内閣倒壊。

国民に「政党=党利党略でしか動かない」というイメージを一番最初に植え付けたのはこの内閣です。
初っ端がこれだったというのは、なんというか、本当に…orz


つづく。 
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