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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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固め修めし大八洲(2)

続き。

「はじめ」という名前ではもうひとり印象深い海軍さんがいまして、それが石橋甫。
私は何と読むのか長らく知らなかった…
心の中で「いしばしほ」って読んでた。笑。ほって。
海軍兵学校10期で広瀬武夫の兄勝比古と同期です。
山下源太郎、名和又八郎らも同期。

そんなに一般的に知られる提督ではないと思うのだけれど、航海の名手として知られた方です。
広瀬やもう少し下の代、恐らく山梨勝之進らの世代、もう少し下もかな~…
相当有名だったと思う。
明治期、優れた航海術で有名だった軍人は何人かいて、中でも新井有貫、三浦功、石橋甫。
新井と三浦は旧幕時代からの経歴。
山梨らの世代ではこういう人たちのようになるというのをひとつの目標にしていたそうです。


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広瀬武夫は新井と同じ艦に乗り込んだことがあります。
日清戦争の途中から広瀬は扶桑乗り組みになりますが、その時の艦長が新井だった。
そして広瀬は鹵獲した鎮遠の回航委員にもなっているのですが、委員長が新井だったんですね。
鎮遠は破損が酷くて日本まで直接航海が出来なかった。
それで修理のために旅順まで鎮遠を持って行くのですが、それを引き受けたのが旅順口根拠地知港事であった三浦功でした。

石橋については広瀬の書簡に名前が出ていた記憶があります。
ちょっと探しきれなかった…
運用の大家とか航海の大家とか、そんな風に書いてあった気がする。
自分で作ってる人名索引から漏れているorz
…三浦だったかな…

で、こんな(?)石橋ですが、山梨勝之進が八島にいる頃航海長だった。
航海士の時に航海長だったそうなので、直属の上司だったのか。
近くで見ていてめっちゃ無造作に、早く、しかも正確に海図に艦の位置を記していく手際の良さに驚いたと山梨が回顧している。


つづく 
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