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固め修めし大八洲

前回の続きというか。
坂本一と八島繋がりで。

八島は清国との戦争を見据えて建造された戦艦になります。
明治25年の海軍軍備拡張で計画された2艦の内の1艦。
もう1艦は富士。

ただこの2艦、議会が建造費を減額に次ぐ減額をした。
この議会対応を明治天皇が非常に憂慮されまして、帝自ら宮廷費から6年間30万円を、また文武官の官僚が俸給の1割を返納するという事態に至っている。
しかしながら日清戦争には間に合わなかった。
出来上がったのが明治30年かその辺りだったと思います。


山梨勝之進が少尉候補生として一番初めに乗り込んだのがこの八島。明治31年。
次の異動が明治33年の三笠回航委員です。
これは去年更新した「戦艦三笠のストライキ」で触れました。


//blog-imgs-49-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/yamanashi.jpg


この八島乗組みの際、坂本一が副長であった時がある。
その頃の回顧が凄く印象的だったんだよね。

山梨曰く、坂本はずるくて賢くて頭が鋭い運用の名人だった。


図々しいことこの上なく、参謀の言う事も聞かないし艦隊の例規なんかも見やしない。
幾らかの留守番を残して、勝手にいくらでも理由をつけて兵員らを上陸させてやって、幕僚なんかが口やかましく言うと

「そんな規則あったのか。俺は忘れっぽいから勘弁してくれよ」

誤魔化しちゃう。
その代り艦にいる時は死ぬほどこき使う。
飴と鞭か。笑

人情をよく察して、また細かい所までよく人を見ていて、人間を使うのが非常に上手かったそうです。
そして何かあった時の手際も水際立っていたようです。

以前「腹が減っては」で書きましたが、パン食に不満を漏らしてサボタージュに出た兵員達に米を食わせてやろうと上官に進言したのは坂本でした。
頷ける話です。


ただちょっとうるさ型の副長だったみたい。
部下に縮こまる程の叱責をすることが多かったのか、神経衰弱で辞めてしまった人もいた。
現に山梨も同期と一緒に
「こんなにいじめられるなら海軍を辞めようか」
を話し合ったこともあったそうです。
辞めなかったけど。


ある時、用があるので里帰りしたいと坂本副長の所に申請に行った。
山梨はいつものように怒鳴られるんじゃないかと思ってびくびくしていたけれど、

「すぐに行け、何日いてもいい」

曰く、そういう所が賢くて上手な所だった。


山梨の言う「ずるくて賢い」という意味、なんか分かる気がする^^;


もう幾らか続きます。


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拍手してくださった方、ランキングクリックしてくださった方、ありがとうございました^^
>三宅さん

お読み頂いてありがとうございます。
ああいう思いは余り表に出さないようにしていますので、そう言って頂けると面映ゆいです^^;
集めた資料を見直す作業も結構骨ですが、ぼちぼち纏めていけたらと思っています。
なかなか思うようには進みませんが…
コメントありがとうございました!
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