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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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インパクト

今週末にサイトを更新するつもりでいます。
それに出てくるとある海軍さんの写真、家にないかと思って探したのだけれどなかった。
ありそうな気がするのだけれど、テキトーに見ていたからスルーしたのかなあ。


とある海軍さんとは坂本一のこと。
以前海軍の糧食関係で名前を出しました。
海門の兵員がパン食に不満をもってサボタージュしたというあれね。

ブログからの転載は3ヶ月開けるのをめどにしているのだけれど、あれは途中でぶち切っているので早めに続き(というか完全版)をアップしておこうと思っています。
ということで次回の更新分は陸海軍、特に海軍さんのご飯の話です…


そこで坂本一が2度登場します。
そうなんだと思ったのだけれど、この方、日露戦争の際の八島の艦長だったのね。
八島ですね。旅順沖で触雷して沈みましたね…
ううう…

『戦袍余薫懐旧録』という海軍軍人の回顧録集がある。
これに沈没した各艦乗組みであった人々の回顧録もあれこれと載っている。
海兵15期でこれまた触雷で沈んだ初瀬乗組みであった小林恵吉郎の回顧も収録されているので、「Here I am」を書いている時に内容を確認しました。

その際、その前後も幾らか確認したのですが、その際に八島もあったなあと。
確認したものの、更新分には全く役には立ちませんでした。笑
そして東郷平八郎に報告に行き、紅茶を勧められて号泣した人がこの人だった。


もうひとつ、軍艦の沈没話ではすごく印象に残っている話があって、それが「大島の遭難」。
題を見た際、えっと思う。
当時の大島艦長は広瀬武夫の兄、広瀬勝比古でした…


//blog-imgs-72-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2015414.jpg


寄稿者は中川繁丑。
この方、島村速雄と吉松茂太郎の伝記を書かれてます。
ふたりとも海兵7期。ついでに書くと坂本一も同期になる。

中川、日露戦争当時は大島乗組みの先任分隊長だった。
大島の沈没は触雷ではなく、赤城の衝突により船体に大穴が開いたため。
原因は赤城側の不注意と、命令伝達方法にちょっと無理があったようで連携が上手くいかず、要するに不運が重なった。

これはいよいよダメだと総員退艦、総員カッターに乗り込んだけれども、広瀬艦長が来ない…
中川が艦橋に迎えに行ったところ、
「艦と運命を共にする」
艦を沈めてしまう責任を深く感じていたそうです。
それを「総員艦長待ちです」と説得して連れだし、大島から離れた途端に彼女は沈んだ。

これ5月中旬の話。
愛弟武夫(仲のいい兄弟でした)を亡くして1ヶ月半後に艦を失う不運。
広瀬勝比古には短期間に来たこの衝撃があまりに大きかったようで、それからは急激に老いの兆しを見せ、病弱になったそうです。

そうか…
勝比古さん、死ぬつもりだったんだね…
私にとっても衝撃だった。 
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