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レコード

先週天皇皇后両陛下がパラオを訪問された際、あちこちのニュースで現地の映像が出てました。
ペリリュー島は戦争特番等で偶に映像を見ることがあったのですが…
アンガウル島が近くて驚いた。
地図で見て近いのは分かっていたのですが、本当に目と鼻の先だったんですね。

アンガウルは先月サイトで更新した向井弥一侍従武官の南洋群島御差遣の話で名前が出てきました。
分遣隊が置かれていて、向井も立ち寄っています。

サイトでは末尾に今年の年始に産経新聞に掲載されていたパラオの話を少し書き足しました。
私は知らなかったのですが、30年に及ぶ統治で中心地は「第2の東京」と言われるほどの繁栄だったそうです。
何でもある。
子供には内地と同じように義務教育を受けさせていたため、お年よりは今でも日本語を話せる方が多い。
特にアンガウルは今でも日本語が公用語のひとつなんだぜ…

「第2の東京」ってそんなに繁栄したの?と思っていたら、先週その様子がテレビで映っていて、これまた驚きました。
街並みがー日本と全く一緒ー
賑やかでびっくり。


あの方面で戦争に参加した日本兵は約1200人(米兵2万人)、その内生存者が34人。
私がテレビで見た方はアンガウルで戦ったとのことでしたが、

・亡くなって埋めてもらった人なんてまずいない。埋められるだけ幸せだと思っていた。
 みんな野晒しだったから。
・戦友の安住の地を作りたい。生き残った者の役目だと思っている。

そう言う事を仰っていた。
つい自分の祖父の事を思ってしまう。


父方は満州方面に出征してシベリア抑留。
明治44年生まれのロートルおっさん部隊だったので激戦地区にはいかなかったようだけど。
自決用にもたされていた銃が重くて仕方なかったという話だけは聞いた。
母方は大正9年生まれで戦争初っ端から最後まで。中国、ビルマと転戦してインパール作戦。
勿論ふたりとも一兵卒なので、地獄を見てきてる。
どちらのじーちゃんもなーんにも話さなかったけど。

特に母方の方はまさにアンガウルの方と同じ状況…
敗戦記念日には生き残った者の責務だといって戦友会への出席を欠かさなかった。


20154122.jpg


昭和15(1940)年12月1日に善通寺第55連隊山砲第5中隊に配属。
善通寺師団は初代師団長が乃木希典という歴史ある師団です。
師団司令部はそのまま自衛隊の司令部にスライド、ただ数年前にその司令部が他所に引っ越しまして、見学が可能になっている。

乙1種合格で徴兵されて戦争、一兵卒から始まって戦争が終わる頃には軍曹になっていたみたい。
それだけ長いこと戦場にいた。
帰国したのは確か昭和22年だったか。それは父方の方だったか。記憶があやふや。
恥ずかしくて街中を歩けず、夜中に帰ってきたと聞いた。

軍隊にいた時の写真が上のを含めて4枚だけある。
2枚は中国じゃないかなあ…多分一番若い。襟章の星がふたつで一等兵。
1枚は乗馬姿。星3つの上等兵。
上のは多分1番新しいものだと思う。兵長じゃないかなあ。

インパール作戦、ちょこちょこ見てはいるのだけれど、余りに酷く余りに愚劣でやっぱり長続きしない。
ファミリーヒストリーとか見た親戚や親からどんな感じだったの?と気軽に聞かれて、説明する内に泣きだす始末…
酷いのは薄々知ってはいるけれど、その「酷い」の内容を皆あまり知らない。

ああでもこれ私がやらないと親戚でも分かる人(やろうと思う人)誰もいないんだよ…
気持ちがない訳じゃないんだけど、余りに酷くて(涙

ただ、「生き残った者の役目だと思っている」、この言葉を聞いてそうなんだよなあ…
やらなきゃなあとは思いました。うん…

軍歴証明の申請してみようかなあ。
軍曹になった、とは聞くけどそれが本当かもわからないし。階級章があった気がするんだけど…
それに父方の方は何にもわからないんだ。
所属していた部隊さえ分からない。それじゃ調べようがないんだよ…


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