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「きみとぼく」 リターンズ

うちのサイトで不動のベストフォー。

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ちなみに第5位も平安ライフ・平安スタイルの4です。
近代メインなのにと若干の寂しさを感じないわけではない。

この平安の記事、歴史好きでなくても一般的に興味をそそられる話であると思うので、多分それで。
(平安時代は実際にどういう生活だったか。食べ物とかトイレとかお風呂とか、衣食住の話)

このページからサイトのインデックスに飛んで中を覗いてくださる方もいて、そこから結構多くの方が「きみとぼく」という日本史の男色の話をガッツリから読んで去ってくださいます。笑
皆さん好きですね。(おい)
そのページ関連でちょっと気になっていたことがあって、借りた本がこれである。


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ノモンハンとか海軍糧食とか江藤新平とか陸軍将校教育とか、そんなのの中に1冊これ。
エロ本のカモフラージュかよ(笑)くそう。誤解だ(大声で)


*以下男色の話になります。無理な人は逃げてー (生々しい話はない
*サイトの「きみとぼく」を読んでいることが前提になります






書名は『日本人の性生活』、著者はフリートリッヒ・S・クラウス、オーストリアの民俗学者。
出版年は1907年、明治40年。
日露戦争が終わって間もない頃で、風俗に近世の風潮をまだ色濃く残す日本の様子が記されています。
アングラ系ではなく純然たる民俗学的な本で、ざっと興味がある項目を見ましたが結構面白い。
驚いたのはこの著者、日本に来たことがなかった。
出版物や知人、日本人との文通を通して日本の性風俗や習俗を描いているのですが、よくここまで書けたなと感心します。
凄いわー
ただ内容が内容だけに一般受けしないというか、まあ…うん…^^;
当時でもこの手の内容は(真面目であっても)猥褻物扱いで当局からアウト宣告されたりしていたみたいだし。
図書館でペラペラ捲って、中盤に合体絵(笑)が山程あったのですぐに鞄に仕舞った。
おそとでよめないー(棒)

それはいいのですが、日露戦争時に兵士の間に同性愛の感情が云々の話の出典がこの本だった。
漸く突き止めました。漸くというか去年偶然知ったのよ。長かった。
気にはなっていたので良かったです。
恐らく規模が大きい図書館もしくは大学図書館あたりにしかない本だと思うので、長いですが引用します。


同性愛についての考えは外面的に変わったとはいえ、サムライの古い考えはほとんど弱められないでひそかに生き続けている。
そしてその主な支持者は昔も今も軍人階級である。

私は軍隊内の同性愛の蔓延について、しばしば士官と語った。
たとえ個々人はそれを認めたがらないとはいえ、兵士や士官の間で少年愛は非常に広がっていることは他のことから立証された。
皮相な観察者さえも、日本の兵士が、われわれ一般人の場合よりも、はるかに情愛がこもり、友好的な仕方でお互いにつき合っているのに一驚するだろう。
規律のない軍隊の粗暴な物腰はまったくない。

われわれは多数の兵士が腕を組み、手に手をとって通りを歩いているのを見る。
またかわいい顔の若い兵士は、求婚者が多いことをしばしば喜ぶ。
これは相互の愛着の外面的なしるしであるとはいえ、兵士の相互の状態についてある士官が報告したことを説明している。
<略>

日本の兵士は、平和時に、友達と手に手をとって歩き、友達と親密なきずなを結ぶように、戦時でもそうである。
われわれは実際こう言うことができる。
同性愛的な関係のなかでも、古いサムライ精神が、一八六八年前の古い時代にはなかったほどすばらしく、満州の戦場でよみがえったと。

何人かの士官が私に、他の兵士に対する一人の兵士の恋愛から自分の生命を賭して戦った光景や一人の兵士が確実に死が見舞う場所で自由意思からわが身を犠牲にした光景を物語ってくれた。
そしてこれは、ただ単に戦闘精神や死を軽んじる心 ― この美徳は日本の兵士に独自のものであるが ― の発露ではなく、他の兵士に対するはげしい恋愛感情からなされたのである。

そしてこの軍隊は、祖国愛から自分を犠牲にするだけでもないし、兵士という使命で倒れるだけでもなく、愛する友人の生命を守るために、愛に殉ずるこのような兵士をもっていることを実際幸福だと思っていいのである。
死を軽んじるまでに至るこのような愛だけが同性愛の分野にその動機を求めることができる。
しかし歴史が教える様に、その数は限られている。

私は極端に走ったかもしれない。しかし私は、士官が私に話してくれた実例を挙げようと思ったのである。
私が陸軍について言ったことは、海軍についてもあてはまるだろう。



うーん。
読んでの印象は、著者本人が書いているようにちょっと極端に走っていると思う。
2・3を見て10を言っているような印象を受ける。
全部を恋愛感情に結びつけてしまうのはどうだろう。

この著者はその話ばかりを聞いて、クローズアップして見ているから、過剰にそう思う点が無きにしも非ずだと思う。
テレビで警察官の不祥事ばっかり流れる→警察官をそんな目で見てしまう(そんな人ばかりじゃないと思っても) みたいな。
著者が実際に見たものではなくて伝聞である事もそうだし、この士官って何人なのよって話で。
この文章を読む限りでは日本人っぽいけど。

ただ軍隊内での男色はあったと私も思う。
明治30年代でも男色は(少なくとも東京では)相当流行していたので、男社会の縮図である軍隊がそれを免れるとは流石に思えない。

しかしそれが全部隊でか、日本軍の普遍的な話かと言われたら違うだろう。
地域差があったと思う。
地域差、つまり管区(師管区)の違いですが。
例えば九州に管区がある、特に鹿児島の師団だったら普通にあったんじゃないかと思うけど、他の所はどうだろうとか。
著者に話した士官が鹿児島や高知の師団の話をしていたのなら、そりゃあそういう光景も結構あったんじゃね?みたいな…


著者は引用した最後の一文で「海軍にもあてはまるだろう」と書いているけれど、私もそう思うんだよねー
「薩の海軍」だしなあ…
日露戦争頃までは士族の子弟が軍人になっている例が多く、近世の武士階級の文化が彼等の中には結構生きている。
近世では男色は武士の嗜みであって、蔑んだり気持ち悪がられることではなく、寧ろ誉れである所があるんですよね。
勿論個人差や地域差が出るだろうけど。
そんな事もあって士官階級では結構あったんじゃないかと思うんですよ。
なので広瀬武夫と一緒に旅順閉塞作戦に参加した栗田富太郎が海軍で「美形」とか「今敦盛」とか言われてたとかいう新聞記事を読むと、何だかとてつもなく心配になる訳です。笑

海軍でも男色はあったという話は、それも結構あったという話は、私も聞いたことがある。
長期間の閉鎖的空間で、分からんでもない。
でも調べても何の話も出てこない^^;
調べ方が悪いのかもしれないけど、推測の域を出ない。


はーい、続くでー


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Comments

post
2015-03-07 10:45 
object #255[Edit]
日本史やる上で衆道はほんと避けられないので、いやでも知識は入ってきますよね。
個人的な話ですが、夜這いのことはめちゃくちゃ調べました。

海軍のそういった文化で真っ先に思いついたのが従兵です。
従兵の選考基準が可愛らしい顔をした少年という所でもうですが、司令部の幕僚に抱きつかれたなんて話もよく見るので色々あったと思います。
ただ、掘った掘られたという話は出ない(出さないのかもしれませんが)ので、昭和の海軍にがっつりなのは無かった(と思いたいです。)
また、海軍兵学校などではマドンナという制度?もあったようで、美形のクラスをマドンナといって自分たちの◯◯にするというのもあったようです。

自分は夜這いのことなら嬉々として調べますが、なかなか衆道には手を出しづらいのでよろしかったら調べて下さいm(_ _)m
気にはなりますし、読んでみたいですw
2015-03-07 12:39  >objectさん
ヒジハラ #260[Edit]
私も従兵はかなり怪しいと思います。
従兵が上がるとなると従僕もそうか。
ぶっちゃけ「すごーく気が利くかわいい子」ですもんねえ。
実際純真でかわいい子が多かったようですし、真面目な話怖い目にあったなんてこともあったかと。

マドンナ!
海兵でもそんなのがあったのですね。
そういうノリ?は今も昔もあまり変わらない所があるのか…
ただobjectさんのコメントを見て、薩摩出水のお稚児様のようだわーと。
(稚児の中でも一番美しい稚児をほぼお姫様扱いにするような)

私も海軍内部の男色事情(笑)はすごく気になるんですが、本当に何をみたらいいのか…
光人社の「海軍○○話」とか、あってそちらだろうとは思いますが。

こういう話は真面目な理由でも中々調べ辛いですよね(笑)
何となくリアルでは人にもあまり言いたくはない(笑)
2015-03-07 14:14 
object #261[Edit]
薩摩出水の話は確かに似てますね。
似てるというか、ほぼ同じような感じです。
薩の海軍ですから風習として受け継がれていったのかもしれませんね。
詳しく調べてみると面白いかもしれません。

ただマドンナという風習に関して、自分も詳しく記述のある本は知りません。
海軍よもやま物語や海軍兵学校よもやま物語にもこういった話は載ってないので(エスプレイは載ってるw)、
まず文献資料を探すのが大変な話題ですね・・・
回想記でもわざわざこういったことは書きませんし、海軍の衆道について聞き取りとするわけにもいきませんし、性の歴史って難しいですね・・・
2015-03-07 21:22  >objectさん
ヒジハラ #262[Edit]
ほぼ同じですか…^ ^;
やっぱりというか 何というか。
薩摩も場所によって相違点があるのでしょうが、後世の(しかも)他県民からは分からないことばかりです。
そもそも薩摩の男色にしても断片的に情報を知るばかりで、全体としてどんな感じであったのかが分からないのがネックですねえ。
もう少し系統立ててわかれば、あれこれ理解できることもあるかもしれないのにとは思います。

男色・衆道は一種タブーになっていますから、そこからして文献を探すのは難しいですよね…
海軍の男色もググれば記述が出てきますが、それ何処からの情報ですか?という…^ ^;
2015-03-07 22:14 
ジゴロウ #263
太平洋戦時、また聞きでもありますが、海軍においては、見てみない振りがマナーであるとか…

嫌悪感があったか、地位や身分などが関係しているのか、理由はわかりませんが、あまり深入りはしないそうです。
各船に、必ずひとりはいるってのが、ちょっとひきましたが…
2015-03-08 06:20  >ジゴロウさん
ヒジハラ #264[Edit]
あらー…そういう話がありましたか。
大きいフネなら2・3千人乗ってますから、全員が全員ノーマルというのはちょっと考えにくいかなとは思います。ひとりというのは寧ろ少ないかなーと。笑
あまり深入りしないというのは海軍らしい感じがします…^^;
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