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ノモンハン戦史(2)

『明と暗のノモンハン戦史』(秦郁彦)。
続いてる。


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日本軍の悪弊のひとつが情報軽視。
日露戦争の黒溝台の戦いの際、イギリスとドイツの大使館付武官からの情報でロシア軍が動き出す事は予見できていたのですが、また騎兵から上がってくる情報からも予見が出来たはずですが満州軍総司令部の作戦責任者(松川敏胤)が大したこと無さそうと軽視。
軽視というか事実上の握り潰しだろうと思いますが、これで大混乱に陥ったのはよく知られています。


日本軍は伝統的に作戦>情報の風潮があります。
作戦を極度に偏重して、作戦に情報を合わせようとする。
作戦部が情報部を見下して全然信じていない。
日露戦争があれだけ情報(と同盟)に助けられていたのに、それでも情報の大切さは分からない。
日露戦争以降は、特に大正末から昭和期だろうけど、諜報活動というより謀略活動の方が目立っていて、軍事情報の収集分析といった本来の情報活動がおろそかになっていたようです。

見ていてあ、やっぱりと思ったのは、この一文。


対ソ情報を主管とする参謀本部ロシア課(第二部第五課)と関東軍のハルビン特務機関の正統的手法による情報収集と判断能力に対する部内の信頼は概して高かったようだ。


大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇』(堀栄三/文春文庫/1996)という本があります。
昔何度か触れたことがありますが、著者は大東亜戦争時の大本営の情報参謀。
現地で情報を拾って分析し海軍の言う「台湾沖航空戦の大戦果」は真っ赤な嘘だと見破ったり、また米軍の作戦を次々に的中させて「マッカーサーの参謀」とまで言われた人物です。
歴史の本で人に勧めるのに1冊上げろと言われたら、私はこの本を推す。
こういう才能をもっとうまく使えたら、歴史の推移は本当に大分変ったと思う。


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堀は陸大を卒業してすぐに第2部に配属になっている。
当時の第2部(情報部)の構成はこんな感じ。


http://blog-imgs-72.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/IMG_0244.jpg


初め16課(ドイツ課)に配属になったけれど、入って2週間でドイツ課潰れた。笑
(しかもソ連課に移って2週間後、更に米英課の米国班に異動)
ドイツ課は5課(ソ連課)に吸収されて、堀も5課配属になっています。
その期間に見たドイツとソ連関連情報の違い。以下。

ドイツ情報…
・大島浩独国大使館付武官(後大使)がヒトラー、リッベントロップといった権力中枢と容易に会って意見を聞ける立場
・日独伊三国同盟の同盟国が日本に嘘をつくわけがないという認識の甘さ
・日本軍の中枢を占める高級軍人のほとんどが盲信的な親独感情をもつ
大島浩からの情報は疑いを入れず100%と受け取る恐ろしさ…

ソ連情報…
・権力中枢とのやり取りは無論なし。なので、

権力の中枢の考えている意中が、ソ連国内のどこかに、何かの形で徴候として出ていないかを、虎視たんたん克明に探して分析していくことになる。
そのため、国内や隣接国家を旅行したり、シベリヤ鉄道の輸送に何か変わったことはないか、
観兵式に出る新しい兵器はどうか、新聞雑誌でソ連の要人が何を喋ったか、
以前に喋った内容と、今度の内容に喰い違いはないかなど、各種の徴候を丹念に積み上げ、
さらに公開文書の翻訳、放送の傍受、暗号の解読、ソ連周辺の駐在武官の報告(略)を組織的、体系的に分析検討して、
その砂礫のような情報の中から一粒のダイヤを見つけるに似た克明細心な取り組み方をする。

<略>根本的に違っているのは、
ドイツ課は徹底した親独から相手を百パーセント信用しているのに対して、
ソ連課は嫌ソが基本で相手をすべて疑ってかかっていたことである。



これが昭和17年の状態でノモンハン事件は14年なので、伝統的にソ連課はこういう感じだったのかな?
それにこれを見たら各国大(公)使付武官、駐在員の役割も大体分かる。
時代が変わっても根本的な点は変わっていない筈です。
ロシア駐在員であった広瀬武夫も数度ロシア国内や欧州を旅行をしていますし、観兵式にも行っている。
新聞雑誌は常にチェックして観るべきものがあれば本国に報告し、博覧会に行ってはロシア海軍の兵器をチェックしたりもしています。
役割は本当に公的諜報員ですな。


それはとにかくソ連課は緻密な分析を積み重ねていくため、楽観とか希望的観測が混じらない。
そういうこともあって戦争の推移にはそれなりの予測をしていたといいます。

ただ秦の本を読んでいるとノモンハンの時は判断が甘く、一番肝心な所で見立てが外れ、ソ連の大攻勢を予測できなかった。
その上中央と出先の関東軍の関係はほぼ断絶、関東軍司令部でも作戦参謀は情報参謀や特務機関の助言を軽視、無視。
黒溝台の失敗から何ひとつ学んでいない。
その揚句関東軍の作戦参謀に重大情報をもたらした将校に対しては、
「弱気なことをいうと、あんた殺されるかもしれないよ」
脅しですかそうですか。
その結果が第23師団の壊滅である。
トップに立つ人間が愚劣すぎる。

で、
出先で独断越境して、偶発的とはいえ事件とは到底言い難い国境紛争を引き起こし、その上莫大な損害を国家に生じさせた責任を上級指揮官が取ったかというとほぼ取っていないに等しい。
無難に予備役編入で済ませられるという、いつものパターンである。
軍法会議にかけると何かと明るみになって都合が悪いから。
事実上の関東軍司令部だとまで言われて独断越権が多かった人物さえ、将来有用だからという理由で左遷で済ませられる。
その”将来有用”を温存活用した結果対米戦争が始まったんじゃないか。
こいつらに責任感など全くない。
一方あれだけの兵力格差があってほぼ互角に戦った前線指揮官(中級下級指揮官)は厳しい処分を受けていて、本来なら責任追及される筈の将官に自決を強要された方もいる。


そしてノモンハン事件から何を得たかというと、学んだものは何もないという薄ら寒さである。
ノモンハンでの戦の教訓を検討して大本営が出した結論は、

敗因は戦車と砲兵力の格差にあった。
故に近代的兵備の拡充を提唱するが、それで足りない所は精神力の強化で補える。

- ( д) ゚ ゚ 目玉ポーン
何言ってるのかよく分からない。
こんなんで近代戦争に勝てるわけがない。

「兵は優秀、下士官は良好、将校は凡庸、指揮官は愚劣」

ノモンハンのソ連側の指揮官の言葉ですが、大東亜戦争で米軍も同じことを言っている。
咸臨丸で渡米し帰国した勝海舟が幕府のお偉方に対して、
「我が国と違いアメリカでは身分が上がるほど賢くなります」
と言い放ったエピソードは有名だけど、これと同じ轍を踏んでいるのかと思ってしまう。

ノモンハンの本はやっぱり言いようのない虚無感しか残らない…orz


あと佐藤幸徳の名前が出てきて驚いた。
この方中央から冷遇されてたのか?
張鼓峰事件で全く様相を異にする近代戦の洗礼を受けて、その後にノモンハン事件。
大東亜戦争ではインパール作戦である。
よく戦死しなかったなと思うんだけど…

佐藤中将はインパール作戦に参加した祖父とその戦友の命を救ってくれた大恩人。
最晩年の佐藤鉄太郎と親しく、教えを請うていた。
ふたりとも山形出身で同姓だけど、親族とかではないらしい。


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