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楠正成、墓碑の拓本

ここ2・3ヶ月走る時は大抵桐野利秋の妄想(…)をしてるのですが、今回は吉田松陰だった。
何でだ。別にそんな大して好きでもない。(酷い)
なんでか唐突に一坂太郎さんから聞いた吉田松陰の話を思い出した。


数年前に萩に行った時に一坂さんとお話しする機会がありまして、出身地近いんです。隣の市で。
それもあってだったか、吉田松陰が神戸の湊川神社に来た時の話を聞いた。

といっても当時まだ湊川神社はありませぬ。
湊川神社は明治になってから特に旧薩摩藩出身者が中心になって作った別格官幣社です。


https://blog-imgs-72-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2015129_2.jpg


別格官幣社というのは明治政府が作った新しい制度で、神様でなくて実在の人物を祀る神社のこと。
湊川神社の御祭神は南北朝時代の楠正成ですね。
ついでに言えば広瀬武夫が御祭神の広瀬神社も別格官幣社になります。


楠正成の戦没地と墓地を結んだ線を中心にして長方形を描いたのが湊川神社の境内になっています。
うん、戦没地と墓地は昔からあったのね。
お墓を作ったのは黄門様、水戸光圀になります。
御老公様、なんで戦没地から離れた所にお墓を作ったの。


https://blog-imgs-72-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2015129.jpg (楠正成墓所)


当時の楠正成の位置付けや水戸学の影響もあって幕末の志士が結構お参りしているんですよ。
西郷隆盛とか、坂本龍馬とかも。


黒船来航以降の海岸警備で長州藩は神戸地域を割り当てられていた時期があります。
任を解かれて帰国する際、お土産としてこの楠正成の墓碑の拓本を持って帰る藩士が多かったそうです。
そういうこともあって山口県からは結構この拓本が出てくるのだそうで。


https://blog-imgs-72-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2015129_3.jpg


これね。
見づらいけど、「嗚呼忠臣楠子之墓」とある。


今でも同じ拓本が神社で売られていますが、それは勿論印刷。
当時はひとつひとつ拓本を取っていたみたい。
吉田松陰がその様子を目撃、それが墓石を跨いで(寝かせてたんかい)叩くようにして拓本を取っていたそうで、
「あんなことしていいのか」
という書簡だったか日記だったか、そういう言葉を残しているそうです。


聞いた時は思わず笑った。
いや、だって昔から結構行く神社なの楠公さん。
近くに神戸市立中央図書館があるのでその帰りについで参りする(こら)。
馴染みがあり過ぎて、「うっそーあそこで?!」という感じで画像が浮かんで、話を聞いた時はかなり受けてしまった。

走りながらふっとそういうことを思い出した。なんで。


湊川神社ねー、意外と色んなものがあるんですよ。
明治天皇が下賜された太刀だとか、徳川慶喜の太刀だとか、東郷平八郎の揮毫だとか。
近代の有名な画家や彫刻家の美術品も結構あるので、寄る機会があればぜひとも宝物館も見に行くべし。

楠公さんの戦没地は神域になっていて自由に行き来はできないのですが、社務所でお願いすれば入れてもらえます。
そこにね、伊藤博文、江藤新平、大木喬任が明治6年に寄進した灯篭がある。
各人の名前入り。

伊藤博文は兵庫県初代知事であったこともあり、神戸関連では割と名前を見ますが佐賀出身者はレアですなー。
江藤新平なんて関西ではまず名前を見ることがないので、これを見た時はすごく嬉しかった私は江藤ファン。 
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