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サイト更新 明治末、海大講習員集合写真

■サイト更新 FRWL(広瀬武夫コーナー)×1件

【 Here I am(4) 】

今回の更新は恐らく明治44年3月末撮影と思われる第3回大中佐臨時講習員の集合写真になります。
人数も撮影シチュエーションも分かっている上、全員が将官にまでなっているため一番難易度が低かった…
これで難易度低いって鬼かと個人的には思う訳ですが。
全か無かみたいな感じだよね、これ(笑)
分かる時は一発だけど、分からなければ永遠に分からない^^;
今回は全員氏名確定です。


広瀬の書簡に名前がないか探した所、今回・前回の写真に名前が出ている荒川仲吾氏の名前を発見しました。
ちょっと笑ったわ!
荒川さん人にNる程SにMだったのか?!(笑)そんな風には見えないんだけど!(超失礼)
…SMバーのSMじゃないよ!(笑)

そうなんですよ、ここでも海軍隠語が使われてた…orz
うう~申し訳ない…
広瀬武夫全集をまた読み返す必要性を感じますわ~

しかし「ちゅうご」というと、私真っ先に浮かぶのが『鬼平犯科帳』の木村忠吾なんですよ^^;
女の子大好き、女遊び大好きのうさ忠。
今回はちょっとそれと被ってしまった。なんか荒川さんに妙なイメージが付きそう^^;

志津田さんの話は私が大事にしている本、『上村将軍言行録』より!\(^o^)/
この本、皆の回顧の寄せ集めなのだけれど15期率が大変高い。
上村が死去したのは大正5(1916)年ですが、この本が出たのは昭和5(1930)年。
その頃になると上村彦之丞の世代は鬼籍に入っている人も多い。
上村の下でバリバリ仕事をしていた部下世代も、既に予・後備役になっているという頃で、上村が活躍していた時の話を集めるといったらこの辺りの期しか適当な人がいなかったのだと思う。
何せロンドン海軍軍縮会議のあった年ですからねえ…


https://blog-imgs-58-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/DVC00032.jpg


勿論竹下勇も寄稿していまして、私は大変期待してたんですよ。
朝日回航委員であった上村彦之丞(委員長)、竹下勇、当時英国駐在員であった財部彪らがロシアに視察にやって来たことがあります。
明治32年、秋の事。
当時広瀬武夫が駐在している時期でして、広瀬もあちらこちらの案内をしています。
この視察を終え一行がロシアを出る際、汽車の窓から上村が広瀬を呼んでほっぺたにチューをしたっちゅう話があってだな…

私、この話の初見が『ロシアにおける広瀬武夫』でして、著者島田謹二の作り話かなーと実は思ってた。
しかしさにあらず、竹下が話を残してるんですよ!(笑)目の前で見ちゃったか!(笑)
別に変な意味ではなく、激励の意味を込めて欧米風にやってみたった、っていう感じですけど。笑

そんな話が載ってるかと思っていたんですが、載ってなかった…
真面目な話しか書いてなかった、竹下君。
私が知りたいところは悉く外してくるな!(笑)

今回出ている人では布目さんと荒西さんが全然情報なしですわ…

寺内正毅に似てる荒西さんは本当に何もない。
ネットでググっても小気味いいほど何も出てこない^^;
家柄がどこかの武士の名門だっていうのは見かけたけど、それっきりだな。

布目にしても探せばあるんだろうけど、どこ探せばええのん。
日本海海戦当時は三笠の航海長です。
Z旗が揚がった後の進路変更後、そのまま指示がないので砲術長安保清種が秋山真之にどうするのかを聞いて、言われた通りに艦の航行を指示してしまうという話がありますが。
艦長と航海長を差し置いて^^;
当時布目は眼前に広がる敵艦隊の位置を航海士と共に書き記すのに夢中でした…
流石にこれは安保と秋山のエピソードだよなーと思ったので書かなかったのだけれど、これ後で問題にならなかったのかな。 
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