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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
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ロングサイン

『コッホ先生と僕らの革命』という映画知ってる?
2・3年前に公開された、まだそんなに古くない映画。

舞台は明治維新からもうちょっと後の時期のドイツ。
ドイツに初めてサッカーを持ち帰った英語のコッホ先生とそのギムナジウムの生徒の話。

映画の終盤でね、コッホ先生が「蛍の光」を歌う場面がある。
「蛍の光」はスコットランド民謡が原曲なのですが、映画の字幕で付けられていた歌詞が「蛍の光」と全然違っていて、
友人との再会を祝して酒を酌み交わそうとか、そういう内容だった。

「蛍の光」と言われると、知っているのは日本語の歌詞で、あとはやっぱり卒業式の印象が強くって。
個人的に何でこんな所で使われるの?と思う場面で使われていたのだけれど、物凄く納得がいった。

原曲名は「オールド・ラング・サイン」、スコットランドの言葉だそうです。綴りは忘れた。
old long ago 遠い昔 という程の意味だそうで。

海軍の軍楽隊が「ロングサイン」という題でこの曲を演奏していました。

日露戦争中の話ですが、明治37(1904)年2月18日に旅順口閉塞作戦が決定しました(第1次)。
2日後の20日、閉塞隊が東郷平八郎連合艦隊司令長官以下幕僚達、また各艦に見送られて出発するのですが、その時に軍楽隊が吹奏していたのが「ロングサイン」。
これを見た時どんな曲かと思って調べたら、「蛍の光」と出てきたんですよ。

閉塞隊送るのに蛍の光w
別れのイメージ強すぎw縁起でもねえww

正直そう思いましたとも!(笑)
でもね、映画を見てたら元の歌詞は全然違う。
そもそもは仲間や友人との別れに際して再会を誓う歌だった。
あーそら閉塞隊送るのには相応しかろう…勘違いしててすいませんorz

ロングサインについては、広瀬武夫が書き残していたと思って一応確認したのですが、どこで見たのか出てこない。
栗田富太郎の回顧録を見たらちゃんと出ていました(ホッとした)(笑)


//blog-imgs-57-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014915.jpg 左)広瀬 右)栗田


栗さんの『第一回第二回旅順閉塞隊秘話』によると、この時軍楽隊が三笠の後甲板で軍艦マーチを吹奏した後、


オールド、ロング、サインといふ、是も海軍では能く留送別の時に行(や)る曲を吹奏して、
一行のために行色を壮んにして呉れた



とあります。

まあ、広瀬の方でも『航南私記』には記述があるんだけどね…
『航南私記』は明治24・5年、海兵18期(加藤寛治クラス)の遠洋航海時の広瀬の日記風記録。
当時広瀬は分隊士として比叡に乗り組んでいました。
日本を出港する際に軍楽隊の「ロングサイン」で送られたことが記されています。
海兵の卒業式辺りで吹奏されるのが多かったみたい。


ついでに。
広瀬は第2次閉塞作戦で戦死しますが、残った肉片はアルコール漬けにされて東京に送られています。
連合艦隊の根拠地から内地に帰る際、また佐世保鎮守府から駅に向かう際、東京で海軍葬が行われた際に吹奏されたのは「哀の極み」という曲。
聞けるのかと思いググったら、youtube辺りで結構上がっていました。
昭和天皇の大喪の礼で演奏されていたそうです。


2・3日前の新聞に「オールド・ラング・サイン」の話が載っていたので便乗した。笑

スコットランド、どうなるんでしょうねえ。
独立したとして財政とか通貨とかどうするんだろうという素朴な疑問。
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