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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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パラべラム~堀悌吉(12)

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この話は19回シリーズです。
サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代MTS > 明治~昭和 よりどうぞ。

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大好きな岩手県の雄安倍貞任の御命日です。
今日は前九年の役が終了した日ですな。(1062年)
そういえばこちらのブログに移ってから平安時代の話を書いた覚えがないなあと…^^;
気が向いた時にでもぼちぼち書いて行けたらという感じですか。
ちなみに安倍晋三首相は安倍貞任の弟宗任の子孫になります。すげー。

パラべラム、沢山の方に読んでいただいているようでありがとうございます。
いやー何だか怖くなってきた。笑。
言っときますけど学術研究等の参考にはなりませんぞ。
ここは個人の趣味のサイトですからな。為念。
拍手して頂いた方、またランキングクリックしてくださった方もありがとうございます。
この話冗談抜きで結構大変なので嬉しいです^^;


***


ロンドンからやって来た請訓に大反対!の軍令部。
そんな事は関係なく妥協案を受け入れるつもりの政府。
その間に挟まれる海軍省。

山梨勝之進次官が非公式軍事参議官会議の後、海軍の意見として「米国案の妥協は受諾できない」と浜口雄幸首相に伝えたのが昭和5(1930)3月24日。
浜口がそれに「政府は会議の成功を望んでおり、決裂させるようなことは無理」と返したのも同日です。

翌25日、海軍ではもう一度集まって会議したものの(岡田啓介軍事参議官、加藤寛治軍令部長、末次信正軍令部次長、小林躋造艦政本部長、山梨勝之進海軍次官、堀悌吉軍務局長)、纏まりがつかない。
その報告を山梨次官より受けた浜口首相の返事は、
「妥協はする、不退転の決意である」
やっぱり意見は変わらない。

更に3月27日に浜口は昭和天皇に拝謁していて、妥協に関する同意を得ているんですね。
天皇のゴーサインに勝る支援はなかったでしょう。


浜口雄幸 岡田啓介


浜口は拝謁後、加藤軍令部長と岡田と会見しています。
この頃には財部彪海相の意志が岡田や山梨次官にはっきり伝わっていたようで、岡田自身が堀軍務局長、古賀峯一高級副官に対して
「大臣の意志がはっきりした以上、省部協力して大臣の意のある所に動かざるを得ない」
と述べている。

その上浜口と会談し、昭和天皇に拝謁して浜口がその決意を更に固めたのを見ている訳です。
分かってはいたけど、妥協以外の道がないということは、一段とはっきり悟ったことでしょう。
その中で浜口に更に三大原則を説明し(7割必要)、更に閣議に出させろとゆする寛治。
なんたるつわもの(一蹴された)。


この頃、侍従長であった鈴木貫太郎も動いていました。


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/suzuki.jpg


「何割ないと国を守れない」じゃなくて、「与えられた兵力で国防を考えるのが軍令部の役目」、そうした事を言っている。
実は鈴木、前職が軍令部長でした。
つまり加藤寛治の前任者で、余計に思う所があったのだと思う。
ただ、
「侍従長でなければ諫めることもできるのだけど」
との本人の言葉通り、天皇の側近という立場上何かしら目立って動くということはできません。

加藤寛治が会いに来て妥協不可を力説しても冷静にあしらって加藤を落胆させたり。
伏見宮に面会して、海軍巨頭会議での発言は余程注意を要す、皇族と言う立場と影響力を考えて欲しい、会議決裂の及ぼす影響は大きい、そういった事を言上している。
言上と言うか、釘刺しに近いと思う…


そういうことがあったからなのか、どうなのか。
岡田と山梨が「請訓を丸飲みする、但し政府には条件を付ける」と決め、
加藤は激しく元帥・軍事参議官会議(ほぼ妥協反対)を開くべき!上奏する!と主張していた頃(岡田に一蹴される)、
面会にやって来た岡田に伏見宮はこう言った。(3月28日)


①海軍の主張(7割)は正当なもの、回訓が出る迄は押すべし
②しかし政府が決めたら従うより他なし。2個師団増設問題のようにしてはならぬ。軍事参議官会議は開かぬ方がいい
③請訓通りになれば加藤は軍令部長を辞めるか?辞めさせぬ方がいい
出張で当分不在になるが、その間にもし参議官会議が開かれたら、適当な時期に発表してくれ
 (『岡田啓介』岡田大将記録編纂会編/非売品/1951)

岡田と山梨大喜び。

もーそらー宮様のお墨付きですよ。
本当にホッとしたと思います。


 ※2個師団増設問題
  大正元年。陸相が帷幄上奏で単独辞任、陸軍が後任を出さなかった為内閣が成立せず倒壊した。
  陸軍が我が都合で倒閣させたと大問題に



岡田は加藤寛治を相手にする一方で、閣議に提出する兵力拡充案を山梨らに考えろ、としています。
これが上の「条件」で、米案の兵力量では配備に不足を感じるのでその補充が必要、軍縮で制限される分野と違う分野を補充してくれ、ということ。
その拡充案が閣議で承認され、その後に回訓案が出来上がります。
それが4月1日。

閣議に案を上程する前、浜口首相は岡田、加藤を呼び、回訓案の説明しています。
それに対し、
 岡田 政府が決定した以上、海軍は最高の方法を考えたい
 加藤 不満であり同意できない 
 山梨 案を海軍首脳に図る。閣議上程はそれから願います

海軍に回訓案を持ち帰り、上の3人、小林艦政本部長、野村吉三郎練習艦隊司令官、大角岑生横鎮長官、末次信正次長、堀悌吉軍務局長で会議。
幾らか修正した後閣議に回しました。
はい。この時加藤も末次もいるわけですが、異論は唱えていません。
軍令部も回訓案を了承した、とみなされた。

閣議においては外相が幾らか訂正を加えた後、問題なしと言うことで、浜口首相、幣原喜重郎外相、山梨次官の発言や説明の後、閣議は満場一致で回訓原案可決。

その日の内にロンドンに打電されました。
はー…ひと段落。


加藤寛治、東郷平八郎、岡田啓介


伏見宮は最終的には政府の決定従えとのことでしたが、もうひとりの海軍の大御所、東郷平八郎はどうだったのでしょう。
回訓が打電された日、山梨次官が経過・結果説明のために東郷元帥の元を訪れています。

山梨に向かって、東郷曰く


一旦決定せられた以上はそれでやらざるべからず、
今更彼是申す筋合にあらず、
此の上は部内の統一に力め愉快なる気分にて上下和衷協同
内容の整備は勿論士気の振作訓練本来の使命に精進すること肝要
 (『岡田啓介』)


一旦決定せられた以上はそれでやらざるべからず
今更彼是申す筋合にあらず



政府が回訓を決定した以上は、それでやらざるを得ない。
今更あれこれと言う筋合いのものではない。

これですよ。
宮様も東郷元帥も、政府が決めた以上は仕方ないと言ってるんです。
回訓案を承認した。

これがどうして大騒ぎになるのか。


続く


上の写真の解説。

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