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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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パラべラム~堀悌吉(10)

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この話は19回シリーズです。
サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代MTS > 明治~昭和 よりどうぞ。

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堀悌吉が出ないまま2桁の大台に…
内容がブログ向きではなくなってきたよ~
もうこれがサイト10年記念ですって言っていいんじゃないかと思う^^;
レベル的にはそんな感じ。かなり苦労して書いてますorz



ロンドンでまだ日英米で妥協案を探っていた頃、首席全権の若槻礼次郎がこの辺りでもう腹をくくるべき、と決断した旨を【7】で書きました。
それで、その際軍人を交えずに首席全権のトップ会談で、政治家が政治判断として決めてしまったということも。

昭和5(1930)年3月14日、若槻、財部彪、松平恒雄、永井松三の全権の名前で、

もうこれ以上日本の立場を押すのは無理
対米69.75%で妥協已む無し

という請訓を日本政府に送り、指示を仰いでいる。
財部としては7割に拘りたいものの、全権という立場上足並みを揃えたようです。


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財部はこの際ミスをしています。
この辺りで妥協したいという請訓に署名する。
その理由はこうこうで、納得できない気持ちも分かるが、仕方ない。枉げて承知して欲しい。
そういう説明を海軍随員にしていない。
せめて顧問である安保清種、首席・次席随員である左近司政三、山本五十六には意を尽くして理解を求めるべきだった。
だから突き上げられるんだよ…orz
説明位しときゃ山本なんかはどう思っていたにせよ部下を抑えること位はしてくれたと思う。

これねー…
今まであれこれと財部の話を読んできたけれど、多分財部の性格だと思う。
腹を括ってあまり人に話さない。
美点と言えばそうなのだけれど、重要な時に欠点となって表れていることの方が多い気がする。

向井弥一がシーメンス事件の際の財部の態度を怒ったことは以前も触れましたが、それと同じで言葉を尽くして他者の理解を得ようとしない態度がコミュニケーションの悪さとなって現れる。
海軍部内での評判の悪さと言うのは、こういう所にも一斑があったと思われます。
この話はまた後日することもあると思うので、今は措きます。


海軍の随員の意見が反映されないまま請訓は政府へと送られました。
当然ながら若槻には色々文句が集まり、海軍としては別個に政府に対して反対意見を上申する、とか、そういうことまで言い出す始末。
若槻は「そういうことをするなら」、と政府に詳細な説明を送っていたようです。(『古風庵回顧録』若槻礼次郎)

実際海軍の意見って送られたのかな?
海軍省の方には
「交渉を続けている間に、7割を得られる機会もあるかもしれないからそれを待ちたい。目下苦慮中」
といった電報は出されているのだけど、この事かどうかは分からない。



ここから舞台が国内に移ります。

 今までの話 … ロンドン。日英米の交渉で妥協案成立、全権が政府にこれでいいかと連絡(請訓)
 今からの話 … 国内。請訓に対し政府が返事を作成(回訓)。妥協賛成反対で①政府と海軍、②海軍内部ですったもんだ


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幣原喜重郎外相が請訓を受け取ったのが3月15日。
それから浜口雄幸首相に面会し、浜口は海軍次官山梨勝之進に海軍部内の意見調整を命令。
当時海相が不在ですので、浜口が海軍大臣事務管理をしており、山梨から見たら浜口は上司代理になります。


浜口首相の指示後、山梨次官は直ちに 臨時省部最高幹部会議を開きます。
意見は概ね反対。
理由は妥協案では国防上欠陥が出るというもの。

ひとり、航空本部長であった小林躋造が国民が望む所は軍縮、比率もこれ位ならやりようがあるといって、妥協可としたくらい。
小林はジュネーブ海軍軍縮条約で首席随員を勤めた人で、派遣されている全権や随員の苦労や、国民の要望を理解していた人だった。
そんな事もありつつ、回訓は今すぐでなくていいと外務省は言っているので少し考えよう、ということになった。


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その間、強硬に妥協反対と主張したのが海軍軍令部。
意見を通すべく動き回っていたのが軍令部長加藤寛治と次長末次信正になります。

加藤は
財部海相には7割が無理なら引き上げて来い、東郷元帥も同意見だと電報を打ち、
浜口首相に会っては7割を切れば国防に責任が持てないと言い、
牧野伸顕内府、鈴木貫太郎侍従長に会っては妥協反対を唱え。

末次次長に至っては、請訓が海軍に示された直後、独断で新聞紙上に海軍当局の意見として
「米国案には不満だ」
と反対表明をする始末。
どう見てもやり過ぎです。
陸海軍大臣以外の軍人は政治関与を許されてはいません(※浜口の逆鱗に触れました)。

その上当時ただひとりの元帥であった東郷平八郎が妥協不可を強硬に唱えていたため、余計に事態がややこしくなる。
東郷だけでなく、当時予備後備役であった大将や中将らも妥協不可を言い募って会合を開くといった状況でした。


ただね、海軍が何を言ったとしても浜口雄幸の肚はロンドン海軍軍縮条約を成立させるという、その1点にある。

そもそも昭和天皇、元老・重臣ら、新聞の論調も世論も軍縮大歓迎でした。
当時は昭和2年から続く不況の真っただ中、緊縮財政の最中で、経済的な余裕がない。
そして、外交の視点から日本(の海軍)が原因で会議をダメにすることも絶対に避けたい。
国際社会からの孤立は避けたい。
これが浜口の気持ち。

じゃあ何で海軍の意見を聞くかと言うと、いい感じで海軍の意見を纏めて欲しいというのと、加藤ら強硬派のガス抜きだったと思う…^^;
これは山梨勝之進も重々分かっていたと思います。


海軍(省)としても、政府と海軍が対決する事態も避けたいんですよ。
当時衆議院総選挙が行われ浜口内閣の与党民政党が大勝したばかりです。
文字通り国民から選ばれた政府でした。
政府と対決しては世論を敵に回してしまうし、まかり間違うと倒閣騒ぎになる可能性がある。
上記の通り天皇をはじめとする国家上層は政府の後押しをしていることを見ても、それはどうかってなるよね。

対米7割は欲しい。けれど状況を鑑みれば「妥協丸飲みもやむなし」。
これが条約賛成派の大体の見解だった。


ただ妥協反対派にはそんなの関係ねえ!(古い
この人たちには外交や財政の失敗で国が破綻するとか、そんなことは関係ないのです。
は?
と思うでしょ?
開戦以前に国が滅亡する可能性がある事が分からない。
びっくりするけど本当なんだよ。
カネカネ言うな!金と国防の問題、どっちが大事なんだ!
っていう感じ。
どっちも大事だよ…
でもそれがなかなか通じない。
ただただ反対する。


そこで海軍部内や政府・海軍間の調整に走り回ったのが軍事参議官の岡田啓介になります。

山梨次官では首相や軍令部長、海軍の大御所(東郷や伏見宮)を相手にするには、官位が低かったり海兵の遥か後輩だったりと、立場上難しく、うまく動けない。


つづく 
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