Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

つれづれ

『山本五十六の真実』を見たんですが、何か可もなく不可もなかったorz

山本五十六は昭和4年のロンドン海軍軍縮会議に次席随員として参加しています。(今から触れる)
全権が英米と妥協していることに反対し、大蔵省から派遣された賀屋興宣が財政面からの意見を述べている時に、
「黙れ、それ以上言うと殴るぞ」
という旨の言葉を吐いたという事が言われていました。

山本が第1次ロンドン海軍軍縮会議の際、英米と妥協することに反対していたということは大抵スルー…
というか、なかったかのようなことにされるので、おお、それを言うかと思ったのだけれど。
言うべきことは言う、後は黙って従うって、確かにそうだけどなんか美談っぽくなってたね。
そんな生易しい話じゃなかったと思うんだけどねー…


堀悌吉の話、結構読んで頂いているようでありがとうございます。
話はロンドン海軍軍縮会議に進んでいく訳ですが、一旦書いて全部消したー(笑)
あのあたりややこしいねん。分かりにくいねん。
何をどう書いたらいいのかよく分からん。
頭の中で考えてブログに書くことに限界を感じる鳥頭(笑)
無計画に話を進めていくからこうなるのよ…^▽^;
紙に書いて考えてから進めます。ちょっと待ってね。

ワシントン会議(この中に海軍軍縮会議も含まれる)の方もねー
本当はもう少し書きたことがあるんだよorz
軍備制限の事にしか触れなかったけれど、日本はこの時に「日本外交の骨髄」と言われた日英同盟を破棄しています。
で、毒にも薬にもならない四か国条約を結んでいる。
これ、国家的にはものすごい打撃だったと思うんだけど、当時そういうことを考えた人間はどの位いたのか。
加藤友三郎でさえあまりよく分かってなかったようだ、という研究があります。

日英同盟という軍事同盟は、日本の大陸進出の足掛かりなっていました。
日英同盟を根拠として世界大戦に参戦、青島を占領しています。
対華二十一ヶ条の要求で特殊権益の確保もしている。
中国の門戸開放を叫んでいたアメリカとは当然ぶつかる訳で。

ワ会議におけるアメリカの目的は主力艦制限ではなくて、実際にはこちらであったのではないかと思います…
日本に極東地域での覇権を握らせないという意味で。

加藤は加藤で他の全権(幣原喜重郎、徳川家達)を頼りにできず、国内で全面的にバックアップしてくれるはずであった原敬も暗殺されており、しかも直下に加藤寛治と末次信正。
山梨勝之進や堀悌吉といった信頼できる部下がいるといってもこれでは。
いくらあんたに全部任せる、フリーハンドでいい好きなようにやってこいと言われても(というかこれは全責任を負うということだ)、これはひとりに重責を負わせ過ぎだと思うし、それでこの人を責めるのは酷な気がする。
加藤友三郎ですらこうなら他はどうなんだよ…


結局はさー
明治の教育では大局的な視点で政・軍を見ることができる指導者層、リーダー層の人間を造れなかったということだよね。
明治の教育を受けた人間が昭和の敗戦を導いたんだぜ…
だから明治は良かったのに昭和は駄目だったなんて、私は絶対に思わない。
昭和戦前がダメだったというなら、その原因は大正にあり、また明治にあるんだよ。
昭和の問題の原因は大体日露戦争後から、”良かった”筈の日露戦争の頃の人間が活躍している時期から始まってるんだけどな。


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