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『竹下勇日記』を読む(2)

続き。

そういう訳で、どんなことが書かれているのか喜び勇んで借りた訳です。
その日の日記。


一月三十日 土 晴
 出勤。午後二時、財部、向井両氏来訪。午后八時半迄懇談す。





ガッデム…!

たけしたくんにはがっかりだよ!(笑)


竹下は今日あったことを詳細に書く人ではなかった…


上記から分かるように、竹下勇、向井弥一、財部彪の鼎談は大正4(1915)年1月30日。
その日の財部日記に詳細が書かれている。
竹下日記には1月22日に人事について向井と相談する事ありという記述があり、大体1週間ほど前に上から面談してこいという打診があったことが伺われます。

日記を見ていると、この1週間の間に財部とも向井とも話をする機会があったようだけど、内容が人事の話だけに恐らくあっても内談程度かな?
向井とは少なからず話してただろうけど。
職場が海軍省と軍令部だし(※海軍省の建物の中に軍令部がある)。


懇談は午後2時から8時半と、財部日記とほぼ一致していて、竹下の家で長い時間話し込んでいた。
散会前に、財部からは


両氏ノ友人トシテノ懇談ハ一層感謝服膺スルトコロアルベキ決心


を告げたとある。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014822.jpg


向井と竹下は八代六郎海軍大臣の御使いとして財部に会っています。
八代はふたりを介して財部に今後の立場についての意思確認をしているのですね。

岳父山本権兵衛との関係で、大義親を滅するの覚悟があるのかと。
それとも徹頭徹尾山本権兵衛の附馬で行くのかと。

これは余人では言い辛い。
というか無理だろう^^;

向井と竹下に白羽の矢が立ったのは、ふたりが同期の親友であることが確実に勘案されています。
直言しやすい、腹を割って話をしやすい。
人事局長心得・向井はとにかく(立場上ね)、竹下が八代の指名か、向井が引っ張り込んだかは分かりませんが、人選的にファインプレーだと思う。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014822_2.jpg


当時の部下の証言から見ても、向井はいい意味での直言居士だったようで、だから余計にこんな言い辛いことを言えたんだと思う。
向井はまたこうも言っている。


財部がシーメンス事件に関係しているとか、政治運動に参加しているとか、そういうことは全く思っていない。
ただ貴様の態度はどうだ。
不正に対しやましい所はないの一点張りで、それが貴様の人望を落とすことになった。


要するにやり方がまずい。
やましいことがないならないで、世間に対しきちんと説明しなけらばならなかった。
そう言っている。

山本権兵衛もそうなのですが、この人たち一切言い訳しない。
言えば言うほど嘘っぽい。
言えば言うほど疑われる。
だから何も言わない。
もう、周りの方がヤキモキして、周りの方がこの人はそんなことしないと一生懸命になってる。

どっちも間違っていないと思うけど、メディアが発達した世の中だと前者かなあ…
説明した揚句疑われるだろうけど。

ただ財部が「両氏ノ友人トシテノ懇談ハ一層感謝服膺スルトコロアルベキ決心」、友人として話をしに来てくれたことは決して忘れない、と言っていることは分かる気がします。
財部の公私の立場を見て直言できる人は中々いなかっただろうし。





とにかく一番見たかった所が簡略過ぎて、本を床に叩き付けたくなった訳です…
でも折角借りてもらったので、国内での出来事の辺りはとりあえず全部読んだ。
何ヶ所かは広瀬武夫の名前くらい出てくるだろうと思って。
何ヶ所かはあったよ。
でもお察しの通り特に詳細はなかった!笑

ひとつ程挙げると、大正3(1914)年3月27日。


故広瀬武夫君十週年祭を水交社に於て行はる。列席す。
東郷元帥、加藤高明男、財部次官、加納吉生等来奠。



加納某って誰だろう…
加藤高明は広瀬武夫の親族になりますので、その関係でしょう。


もうひとつ。
大正5(1916)年3月30日に出張先で同期と広瀬の話してる。

その出張の際の足になったのが榛名、当時の艦長は布目満造。
別府湾に投錨したら、第2艦隊の僚艦霧島、比叡、第2水雷戦隊が既に在錨。
当時第2艦隊の司令官は八代六郎、参謀長は永田泰次郎。
霧島艦長は志摩猛でした。
それで榛名艦長は布目満造でしょ~
なんだよ同期だらけだな!(笑)


永田参謀、志摩霧島艦長、布目榛名艦長と上陸し、
日奈子に投宿し、故広瀬中佐の霊を祭り同窓回顧談に夜を更す。



日奈子は、別府の日名子旅館の事だと思う。
別府で一番古い旅館だったそうで、戦後は日名子ホテルと改名。
なんでそんな事知ってるかというと広瀬武夫が泊まったことあるからよ。笑
日付も分かる。
明治35(1902)年の4月10日。
ロシアから帰国後の墓参休暇で故郷に帰った際、妹や親戚と一緒に泊まった。
今も営業してるなら何かないかと思って調べたのだけど、相当前に廃業したそうです。


志摩猛
※布目ちゃん

http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_07260322.jpg

※永田さん

http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014721.jpg
(×泰二郎→○泰次郎)


今日で終わる予定だったのだけどもう一回続く。
うう…


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Comments

post
2014-08-24 00:06 
object #123[Edit]
友人からプレゼントとして、八代六郎と変なおっさんが写ってる写真を貰ったのですが、
その変なおっさんの名前が杉原義威という人で調べてみると世界統一大英雄なんて書かれていて胡散臭すぎ。と思ったのですが、どういう人だかご存知ですか?

あと最近、秋山真之の伝記の初版本を買いました。
結構綺麗な状態で安かったのでいい買い物をしたと思います。
が、出てくる軍人が全然分からない・・・
これを機にちょっと明治も齧ってみるかと思いますw
2014-08-24 14:11  >objectさん
ヒジハラ #124[Edit]
杉原義威、オークション関係の写真で結構出てきてますね(私は土屋光金や三須宗太郎の写真で引っかかりました)。
明治大正期の結構高ランクの陸海軍人とのツーショット・スリーショット(アングルが全部同じ…)が多いので、私も誰かなと~

世界統一大英雄、世界統一大豪傑バージョンもあるんですよ。
たしかに胡散臭い感じですが、言葉の響きからしていわゆる壮士ってやつかなと。
『東亜先覚志士伝』には名前が出てなかったですね~
『続対支那回顧録』か『日本人名大辞典』(平凡社)に出てるかもと思いつつ、それっきりです。笑

初版本ですか~
私の手元には普及版の薄い本があります^^
明治の人の伝記はネットで読めるものも多くなってきましたが、やっぱり書籍が読みやすいですね。
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