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ワシントン海軍軍縮会議のころ

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この話は3回シリーズです。若干加筆の上サイトに纏めて移行済み。
そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 大正、昭和 よりどうぞ。
題は 加藤友三郎の話 に変わっています。

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山梨遺芳録より (第9回)


全権大使の主席に軍人をもってくるというのは、国際的には中々微妙でした。
軍の文民統制が当然のことになっているアメリカやイギリスからすると、こういう場面に軍人が一番に出てくるのはどうかという感触だったみたい。
全権首席に加藤友三郎を据えるというのは、当時の国内状況諸々を鑑みてベストチョイスであったけれど、政軍関係の在り方の違いから、欧米にはそれが理解されないんじゃないかという懸念があった。
それに大正に入ってから日本がやってきた事をつらつらと思うに、日本の軍人は軍国主義者だと思われても仕方ないわ…^^;

アメリカ側は全権のひとりであった幣原喜重郎にわざわざ「提督や大将は全権じゃなくて、顧問か委員にした方がいい」とまで言ってきたようです。
確かにそうだけれど、日本の国情はそれを許さない。
それでどうしたかというと、幣原は加藤に注文を付けた。


各国の全権がワシントンにつくと、アメリカ側の代表であるヒューズを始め国務省から出迎えが行く。
イギリス全権バルフォアに対してもそうで、両側に群衆が一杯いて、帽子を振って盛んに日本でいうバンザイをする。
恐らく加藤全権に対してもそうだと思う。
向こうが帽子を振って歓迎したら、こちらも帽子を取って、にこにこ会釈してもらいたい。
それから軍服でなく、平服でやって来てもらいたいと、その副官に伝えさせた。
 (『外交五十年』 幣原喜重郎/中公文庫/1987)


無愛想禁止、軍服もアウトにして、少しでも印象を良くする作戦。(……)
引用中の副官は野村吉三郎じゃないかと思う。
で、加藤は言われた通りにやったのかといえば、やった(笑) 
やったんだけど、めっちゃ不機嫌(笑)


君が余計な注文をするから、平服を着て帽子を振ったが、もう君の注文は肯かん。
おれはあんなことが嫌いだ


そらーまー加藤と言えば冷徹・無口・無愛想で知られた人ですが。
そこに孫がいると思えば出来たんじゃね?(笑)エア孫(笑)
ワシントンの大使館に着くや加藤は幣原をつかまえて苦情を言い放ったのだけれど、豈図らんや加藤の評判はめっちゃ良かった。
幣原曰く、チャーミング・アドミラルと言われたそうです。
そして幣原の一言。


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/katoutomosaburou.jpg


幣原…(笑)
ただ、この会議で一番人気のあった全権は加藤であったようです。
それは幣原の想像を上回っていて、ヒューズも「あの人は、誤魔化しとか、嘘をつくことを絶対にしない人だといって非常に信用していた」。

『山梨遺芳録』を見ていると、新聞記者にも非常に評判が良かった。
加藤の無愛想は幣原ならずとも気になったと見え、山梨も「アメリカは新聞万能の国だから、新聞記者への対応は余程はしっかりしてもらわないと困る」、そういう事を伝えたらしい。
ただ蓋を開けてみるとそれは杞憂で終わった。
それというのも、向こうの新聞記者の狙いが日本の新聞記者とは違い、愛嬌があるとかお世辞なんかはどうでもよく、質問を浴びせた時に相手がどんな表情をするかが大きな関心事であったから。
難しい質問をされても、冷静に簡潔、明快に要点だけを即答する、そんな加藤の姿勢がよかった。

当時の新聞記者の話に山梨は何度か触れているけれど、日本の新聞記者と比べて随分思う所があったようです。
確かロンドン海軍軍縮会議の時だったと思うけれど、当時次官で内地で骨を折っていた山梨は非常に丁寧に新聞記者に対し、すごく評判が良かったらしい。
ただ、その裏でどういう事を思っていたかというと、


外国の新聞記者は、格が違って、英国あたりの有力な新聞雑誌の一流記者となれば、
自ら総理大臣や外務大臣になったつもりでその責任においてものを書く。
これは、書いてはいけない、これはまだ時機が早い、このように書かなくてはいけないと、国家的見地から筆をとる。

日本の記者には、そんな見識は毛頭なかった。
ただ、抜けがけの功名をしようとする自己本位であった。
ひどいのになると、これをもって政争の具とし、倒閣の具に利用しようとし、まったく外国とレベルが違うのである。


またこうもあります。


日本は新聞が悪い。商業政策からでもあろうが、ことさらに事をまげて、ときの政府に楯つく。
これが、大衆をあらやまらしめて、ときどき馬鹿者が出る。

(『山梨遺芳録』)


本当に、山梨は色々と思う所があったのだと思う。

この辺りを読んだ時は「新聞はこの次の一大事の時にも国を誤るだろう」と断言した山本夏彦を思い出しました。
今は新聞もさることながらテレビの方が輪をかけて酷そうだけれど。
商業政策という事からいえば、高校野球も元はといえば新聞を売るために新聞社が始めた催しです。

夏暑い → 新聞読む気なくなる → 新聞売れなくなる → 何とか読ませたい →
 高校生に野球をさせて報道しよう → 各都道府県から代表を出せば万遍なく売れるんじゃね?

嘘かと思うかもしれないけどほんまやで。


短いけど今日はここまで

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