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優先順位がおかしい話(3)

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この話は4回シリーズです。すでにサイトに纏めて移行済み。
そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代MTS-ALL よりどうぞ。
題は Odd Priority に変わっています。

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山梨遺芳録より (第7回)


このような、手におえぬ難物の伊東巳代治であったが、原首相や加藤海相などは、これの操縦がまことに堂に入ったもので、役者がはるかに上であった。


山梨遺芳録にある、「優先順位がおかしい話」の冒頭にあげた引用に続く文章。
伊東巳代治にもやっぱり敵わない人がいた。
加藤友三郎が伊東がどういう関わりがあったのか、ちょっと私には思い浮かびませんが…
加藤は海相、後には首相を務めているし、伊東は枢密院の長老格であるし、まあ接触は随分あっただろうけど。
原や加藤とは確かに役者が違ってただろうな~


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0138.jpg


『原敬日記』によると、閣議に海軍軍縮会議の話が上ったのが大正10(1921)年7月12日。
当時原敬内閣で、海相が加藤友三郎、外相が内田康哉。
この時の話は「アメリカがこんな事を言って来たよ」というもの(非公式)。
その後英米とのやり取りがあり、「11月11日にワシントンで会議をしよう」と正式にアメリカから案内が来たと書かれているのが『原日記』8月19日条になります。

この1ヶ月の間に会議の話が広がり、そうして誰が全権になるのかという話になってくる。
訪ねて来た渋沢栄一が金子堅太郎の名前を出してみたり、三浦梧楼が高橋是清(蔵相)が適任ではないかと言ってみたり。
伊東巳代治の名前も挙がっています。

『原日記』を見ると伊東の名前を持ち出したのは田中義一前陸相(7月23日条)。
田中曰く

「伊東を会議全権に勧誘してみたら?もし断ってきたら彼の将来の発言を止むる事も得るべしと山縣云ひたり

伊東にしてみたら?山縣もこう言ってるし、という感じ。
それにしても将来の発言を止めるって、要するに伊東の政治家生命断つって事で。
田中に対し、原はこう答えています。

「政略としては良いかもしれないが、真に伊東往かば失敗疑なく、国家の為には不利益至極ならん


後日原が山縣に面会した際にもこの話が出てまして(7月31日条)、


山縣: 伊東を太平洋会議の全権としては如何(笑)
原敬: それは田中からも聞きました。政略としては面白からんも真実国家の為を思ふ時は考物なり、多分失敗すべし
     最近は米国への返書の字句相談等を伊東にしてるけど、それで大満足してるみたい
山縣例の通り伊東の非難をなせり


例の通りって、いつもかよ(笑)
山縣の台詞の(笑)は私が付け加えたのでは無く、笑いながら話してるんですよ、原に。
まああれだ。本気じゃない。


全権の人選について原が具体的な名前を出したのは、アメリカから正式な案内状が来てからです。
内田外相に誰にするかと尋ねられ、原自身は日本を離れる事は不可であり、内田が行けないなら加藤友三郎海相が適任だと思うと、そう述べている(8月19日条)。
原が加藤に渡米依頼をしたのは数日後の8月24日ですが、その際、
「今回米国に派遣すべき人物は色々勘考したれども、君の外になければ」
君しかいないんだと言っている。


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0254.jpg オンリー・ユー!


原は初めから加藤にする腹積りであったかと思います。
海軍からしっかりした人を出した方が海軍を納得もさせられるし、海軍を抑えられもする。
加藤はちょっと考えさせて欲しいとか斎藤実はどうかとか、その場では保留したものの、東郷平八郎・井上良馨元帥等に相談した上、受ける事にした。


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/koki.jpg


8月26日、原は山縣を小田原に訪ねて、全権を加藤に内定したい旨を報告。(『原日記』8月26日条)
是非を問えば山縣は加藤で異存はなく、そこで原は「人選の前、伊東はどうだと仰ってましたが」、と伊東の話を持ち出した。
そうしたら山縣は大笑いして


「あれは冗談だ」 哄笑して、あれはと云つて一場の戯言に過ぎざる事を示せり


おーい!(笑)
まあ、原が本気にするとは思ってないから言える事ですな。
山縣は更に伊東の話を続けます。

山縣曰く、
この前杉山茂丸が、
「伊東に招かれた際、『摂政問題の取調方を俺に命じるよう山縣に伝えて欲しい、原首相よりその内意を伝えるよう斡旋して欲しい』と言われた」
と話していた。清浦奎吾もそんなことを言っていたが、誰かから聞いたか?

原はそんな話は初耳で、溜息混じりだったのかどうなのか、

伊東は兎角そんな事のみ企て持懸け居れり、其のくせ吾々には毫末も好意なく妨げ斗りなし居る

原の言葉に山縣は「本当にそうだ」と相づちを打ち、

自分如きには早く死ぬがよしと云ふ位なり、
結局伯爵を望むに過ぎず、故に何も蚊も自分がなしたりと云ひたきものなり
 

http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/yamagata.jpg

自分如きには早く死ぬがよしと云ふ位なり 
(あいつ、俺なんか早く死ねばいいって言ってる位だからな)

ここを読んだ時は思わず笑った。(※「何も蚊も」は原文ママ)
更にまだある。(『原日記』9月22日条)


山縣、伊東巳代治を操縦し置くの必要ある様に云ふに付、外務の相談相手となしたる事を告げ <略>
牧野も誰も伊東を好まず、且つ吾々に対して妨げのみなすに付困るとて非難せしに、山縣又口を添えて非難したり。
或いは山縣も平田等より説かれて伊東操縦を考へ居るやも知れざるも、根が好まざる人物に付二言目には非難に移るものゝ如し。


要するに山縣はアレだ。
大体オマエ気に入らねー!(GLAY)ってやつだ。笑。
牧野は牧野伸顕(大久保利通次男)、平田は平田東助です。
何にせよ、ここまで言われるってよっぽどだと思うのは私だけですか…
とまれ、山縣・原の両者が伊東をどう見ていたのかが、よく分かる会話であると思います。

うまいな~と思うのは、伊東を差し支えのない所で関わらせてプライドを満足させ、毒にならないようにしている所。
いなし方が上手。
それが冒頭にあげた山梨勝之進の言葉だったかと思います。

原も山縣も、伊東とは付き合いが長い。
この話の初めでも触れた通り山縣とは伊藤博文失脚の画策に関わっていますし、原とは政友会立ち上げの頃からの付き合いになる。
そんな頃から国家の上層で重大事を挟んでずっと関わって来ているので、相手の性格や出方がよく分かっていたんだろうな、と思う。

なんといいますか。
見ている限りでは本当に優先事項が自分なんだよね、巳代治…
良い面だって絶対にある筈だけれど、出てくる事出てくる事が強烈過ぎて、私はとてもそこまで好意的には見られなくなってます。

前回見た通り伊東は昭和に入ってからも政府をあれこれ困らせますが、伊東の相手になる側がね…
真っ当に相手にしすぎというか、正面からぶつかり過ぎている感じを受ける。

山梨はワシントン・ロンドンの両海軍軍縮会議に深い関わりをもった人物ですので、大正と昭和の対応の違いを思い、歯噛みするような心持であったのではないでしょうか。
そういうことをふっと思う一文でもあります。


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