Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

Home > ヒストリ:近代MTS > 昭和 > 優先順位がおかしい話(2)

優先順位がおかしい話(2)

*****

この話は4回シリーズです。すでにサイトに纏めて移行済み。
そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代MTS-ALL よりどうぞ。
題は Odd Priority に変わっています。

*****


山梨遺芳録より (第6回)

~ 前回までのあらすじ ~

台湾銀行救済緊急勅令案の会議の筈なのに、筋の違う政府の外交批判を展開し始めた枢密院顧問官・伊東巳代治。
みんなげんなりしながら聞いていたけれど、方向違いで謂われのない批判と御前でのお下品(?)発言に堪忍袋の緒が切れた閣僚がいた。

~ ~ ~

(※伊東巳代治は)果ては陛下の御前をも顧みず、「知らぬは亭主ばかりなり」などと放言して、私を罵倒した。
(『外交五十年』 幣原喜重郎/中公文庫/1986)

ブチ切れた閣僚は幣原でした。

http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/sidehara.jpg

幣原は当時若槻礼次郎内閣の外務大臣でした。黙っていられなかった。
枢密院会議に出席していた閣僚が黙っているので、若槻首相に一言いいかと断った上で、

・今日の諮詢は台湾銀行の件だ。貴方は外交について非難したが、何の関係がある
・いわれのない事実を痛論したが、その証拠を出せ
・よく調べもせずに憶測で虚構の事実で論断するのは甚だ迷惑
・陛下の前で私を中傷するのはどういう訳か。このように世間を惑わす責任をどう考えているのか

私の声はしだいに激越になるので、若槻首相もハラハラしている様子だ。
財部(海軍大臣)は小さい声で、「そんなのに相手になるな」という。
しかし私は黙っていては癖になるからと思ったので、ここで思う存分に反駁してやっつけた。


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/london1.jpg


黙っていては癖になるって…こ、子供か…
伊東は真っ赤になって怒ったものの御前であったので流石にそれ以上は何も言わず、それはその場で済んだのだけれど、会議が終わった後、


「貴様は実にけしからん。御前でおれを罵倒するとは、不都合な奴だ。」


逆ギレ。
そしてそんな伊東にさらに腹が立った幣原。


私に対して貴様呼ばわりである。これに対して私は、
「どっちが不都合か」
とやり返した。それからすこぶる不穏な場面に立ちいたり、まるでゴロツキの喧嘩のように、
「来るなら来い」
といいざま、私は腕をまくった。 
(※周りが止めました) 


幣原(笑)
笑う場面じゃないけど思わず笑ったこの場面。
いや…確かにね、本当に腹が立ったと思うよ…
あんなことを言われた挙句、台湾銀行救済緊急勅令案は枢密院で否決され若槻内閣は総辞職することになったし。


当時、総理大臣が辞職すると各皇族に挨拶回りに行くという慣例があったそうです。
宮家は市内(当時は東京市)に散らばっており、それを訪ねるためには当然あちこちを通らないと行けない訳で。
その際、若槻は銀行に黒山のような群衆が押し掛けるのを目撃しています。
取り付け騒ぎが起きてる…


私はそれを直視することが出来なかつた。こうなると思つたから、自分は一生懸命やつた。
それを枢密院が軽く見て、こんな事になつた。
(『古風庵回顧録』)


もう少し粘り強かったら、もう少し何とかなったのではと思う所は、正直言えばめっちゃある。
しかしながらこういう記述を見ると、後の歴史を思うと、やっぱり胸が塞がる様な思いがします…
まあ、あっちこっちで伊東は関係者を困らせている訳で。


ロンドン海軍軍縮会議の条約批准の際も枢密院の審査委員会のメンバーを全員批准反対の顧問官で固めたり。
政府から審査要請が来ているのに3週間ほったらかしにしたり。


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/hijunn.jpg
(『総合日本史図表』(第一学習社) に載ってた漫画)


ただどれだけそんな嫌がらせじみたことをしても、浜口雄幸首相は断固として譲らない。
譲らないよ!だって雄幸ですもの!(誇らしげ)(笑)
そりゃあ国家安危に関わることで、浜口自身が文字通り身命をかけて取り組んでいる上、昭和天皇・宮中・新聞・世論が浜口内閣の味方だった。
この条約批准については浜口のイニシアティブがすごくて、内閣も全一致。

あ、これもしかして歩が悪い?反対し続けるとちょっとまずい?
枢密院の面目丸潰れになりそう。
そう悟ると伊東は豹変。
 
「もう枢密院で議論するのは止めて、批准しよう」
「え?」

当時枢密院議長であった倉富勇三郎は唖然。
唖然というか裏切られた…

倉富は条約批准に反対でそれは伊東と同意見だったのですが、彼の反対理由は審議を通す手続きや法律の問題からくるもので(倉富は法律の専門家)、政治的理由で反対した伊東とはそこが違っていた(その辺りに倉富の限界があるように思います…時代についていけてない)。
伊東は他の委員にも批准を認めるように迫り、


承認を迫る伊東の演説は罵詈に渉り、委員の賛同を得ると急に顔を和らげ言も穏やかになった、
と(※土原註:倉富は日記に)悪意をもって書いている



枢密院議長の日記』(佐野眞一/講談社現代新書/2007)より。
原文じゃないのが残念な所ですが。


条約の審査上必要なる資料を得ずして適当なる審査を為すことを得ざるは当然なるに拘はらず、
伊東は山川、河井が必要なる質問を為し、又は正当なる意見を述べんと欲すれば罵言を発し、
又は委員長を辞すと云ふて之を威嚇し、無理に審査を結了し、委員をして自己の意見に一致せしめたり

(同上より倉富日記の引用の孫引き)


山川は山川健次郎、河井は河井操です。
書き手に悪意があるのでその辺りは勘案が必要ですが、しかし何といいますか。
幣原の回想録でも本人がいない所で伊東に無能を罵られる場面がありますが、うーん。罵声を浴びせずにはいられないのか…
とにかくこういう感じで時代を上っても下っても伊東巳代治に困らせられた人は結構いる。


以前山下亀三郎の本を読んでいたら伊東巳代治の話が出てきてました(『浮きつ沈みつ』/山下亀三郎/山下株式会社秘書部/1943)。
山下は明治~昭和の実業家で、愛媛出身。船成金として有名か。
同県出身という事で秋山真之と縁があり、秋山は山下の小田原の別荘で亡くなっている。
小田原の古稀庵(山縣有朋別荘)に行った時、本当に近くを通ったのに気付かなかったんだよ~
あるのは看板だけらしいけど、見られるものなら見たかった…
あの付近で瓜生外吉の別荘跡(胸像がある)をウキウキしながら探してたのは私ですorz

山下は伊東とは割と懇意にしていたようですが、それを見た先輩や友人から「君は気を付けてゐないと、今に酷い目に遭ふぞ」と忠告されている。
酷い目に遭うぞって…^^;
山下曰く、伊東との付き合いの呼吸は分かっているから別に問題はなかったらしい。
ただうわあ…と思ったのは、


同伯は常に
「自分は、長く猟をして猪や鹿を打ち、また吠える犬は打つたが、尾を振つて来る犬は一度も打つたことはない」
と云ふことを繰り返して言つて居られた。
 

それ、犬の話じゃないよね。


続く!
関連記事

Comments

post
Comment form

Trackback

Trackback URL
Copyright © 土原ゆうき(ヒジハラ)