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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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優先順位がおかしい話

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この話は4回シリーズです。すでにサイトに纏めて移行済み。
そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代MTS-ALL よりどうぞ。
題は Odd Priority に変わっています。

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山梨遺芳録より (第5回)


大正3(1914)年から始まった第一次世界大戦が大正7(1918)年に終結し、翌年パリ講和会議が開かれています。
そこで日本は山東半島と赤道以北の太平洋南洋諸島のドイツ権益を委任統治する事になった(日本は日英同盟を理由に参戦していた)。
その南洋諸島ですが当初は軍政が敷かれ、海軍がその受け持ちだったらしい。
山梨勝之進は当時軍務局第1課長で、海軍省内ではその主任であったと山梨遺芳録にはあります。
で、その事に関して枢密院顧問官であった伊東巳代治と接触があった。


講和条約批准の審査が、枢密院で行われたが、その主任が伊東巳代治で、その道にかけては、天下第一人者と自負しており、これが大の意地悪で、関係者を困らせていた。
外務大臣の内田康哉などは、いじめられて、ふるえ上がっていた。
その下にいた二上書記官は、これまた伊東にシンニウをかけたような男で、ピリオッドがどうの、コンマがどうのと細かい点をやかましく言っていた



これが大の意地悪で、関係者を困らせていた

あー…やっぱりね…(と思うのは私だけではない筈)
そして全く同じ事が書かれている本を読んだ事がある。
幣原喜重郎か若槻礼次郎の自伝だったと思うのだけれど、探し切れなかった。
記憶違いかな?
審査するために枢密院に回した書類が印刷物の写真で、その写りが少し悪くて見難いだけなのだけれど、これはコンマだピリオドだとそんなやり取りをしている、という感じの話 (※注)


伊東巳代治、今まで何度か名前を出しています。(関東大震災とか下関条約とか)
いやもうね、何なんでしょうね本当にこの人…
巳代治に苦渋を味わわされたり煮え湯を飲まされた(有名)人は1人や2人ではない。


http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/miyoji.jpg 残念なイケメン


伊東は伊藤博文に見い出され重用された人物です。
井上毅、末松謙澄、金子堅太郎と合わせて伊藤博文の”四天王”。
中でも一番政治的な才能があったのが伊東で、伊藤の政治秘書であり情報参謀であった。
非常に才気溢れる人であったみたいだけど、上にも「天下第一人者と自負」とあるように、非常にプライドが高く自負する所が強い。
伊藤もそれをちょっともて余す感じ。

伊藤と伊東の間には、明治30年代初めに大きな亀裂が入り、袂を分かつことになります。
自分が思う程伊藤が評価してくれないという所に不満があったというのがその一因みたい。
いつまでも人の下にいるのが嫌だとか、他にも色々あるのだろうけど。
とにかく、それ以降伊東は伊藤に近づいたり離れたりを繰り返しています。

伊東にとって色々と決定的だなと思うのは、明治36年、政友会から切り離すために伊藤を枢密院議長にするという山縣有朋の謀略に力を貸しているというところ。
うーん。これねえ…
要するに伊藤を政治の第一線から引かせるという事ですよ。半ば引導ですよ。
こうなってくると、最早どちら側の人間か分からない…

伊藤からすれば、裏切り者。
山縣からすれば、自分を見出して30年近く面倒を見てくれた親分を政敵に売る人間。
こんなことする人、山縣でなくても誰だって自派に入れるのは嫌だと思う。
三国志だと「主を裏切るような奴は、どうせまた寝返る」とかいって曹操に殺されるパターンだ…^^;
結局どこの派閥にも行けなくなった。(なので伊藤に付かず離れず)
明治30年代に枢密院に入ってからは、そこが伊東の舞台になります。


伊藤が煮え湯なら苦渋は以下。

・後藤  新平: 関東大震災後の復興計画(主に土地関係)に反対 (※大地主だった) 大正12年
・若槻礼次郎: 恐慌を防ぐ為の緊急勅令案、枢密院で否決→若槻内閣総辞職→恐慌ひどくなる 昭和2年
・幣原喜重郎: 国際協調路線の外交を大批判 大正後期~
・浜口  雄幸: ロンドン海軍軍縮会議時、統帥権干犯騒ぎの片棒を担いで政府攻撃 昭和5年


あんた 一体 何してんの? (正直な感想)


私が、というか…一般的に知られているだけでこれだよ…
苦渋なんて言葉が生温く感じる程の出来事である。そらそうだ。全部教科書に載ってる大事件だ。

伊藤博文はまだいいよ。個人的な話で済んでるから。
でも上の4条は違うよね?ね?
本当に質悪いと思うのは、個人としてではなく枢密院顧問官としてこういう事をしている点。

枢密院のボスなんですよ、伊東。
「枢密院は癌」だとか、「枢密院の癌」だとか、そういう事を言われても仕方ない。
若槻礼次郎や幣原喜重郎は、本当に困らせられた人のひとりだと思う。
両者の自伝にも伊東巳代治が出てきます。


台湾銀行救済緊急勅令案を通す際の枢密院会議で、何故か伊東が外交批判を始めた。
緊急勅令案の為の会議なのに…
違う問題でもあるしと、出席していた閣僚は黙っていたのだけれど、そうしたら


その老顧問官は、ますゝゝ調子に乗つて、陛下の御前をも顧みず、「町内で知らぬは亭主ばかりなり」という、俗悪な川柳まで引いて、外交攻撃をした。
まるで枢密院を、自分一人で背負つているような勢いであつた。
私はもう癪にさわつて、一つ相手になつて喧嘩をしたかつたが、場所が場所であり、立場が立場だから、ジッと腹の無視を抑えて黙ついていた。


『古風庵回顧録 若槻礼次郎自伝』(若槻礼次郎/読売新聞社/1950)より。

老顧問官は伊東巳代治、陛下は言うまでもなく昭和天皇になります。
立場が立場というのは、当時若槻は首相であったためで、じっと我慢の子。

そうしたら、その伊東に喧嘩を売った猛者がいたよ!


続く!(笑)


(※注)
このエントリを書き終わった後に見つけました。幣原喜重郎の回顧録『外交五十年』です。
幣原の話では、ロンドン海軍軍縮条約の話になっている。
どちらかの記憶違いということではなくて、どちらでも同じような事を枢密院はしていたのではないかと思います…^^;
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