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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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追憶(3) 秋山真之+α

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この話は4回シリーズです。
追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代史 > MTS-ALL よりどうぞ。

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続き。
秋山真之の話は今回で終わり。


5)小柳冨次(42期。同期に有馬馨、加来止男)

○明治44年か明治45(大正元)年

第一艦隊(長官出羽大将)が江田島湾に入港して、秋山参謀長の講和があった。
中学時代から窃かに尊敬していた秋山さんの風貌に接しただけでも非常な感激であったが、
お得意の川中島合戦における甲越両軍の進退掛け引きを興味深く話された後、次の様に訓話された。

「自分は若い時分から軍人として安心立命を得るため、いろいろ宗教や哲学などに没頭したこともあるが、
帰するところは勅諭の五箇条ということになった。
それで余計なことに多大の精力を消耗したことは無駄であったと後悔した。
あの精力を軍務一途に専用したら、専ら大いに啓発するところがあったであろう。
今の私は現在集中主義である。 過去に拘泥せず将来の取り越し苦労をせず、全力を当面する現在に集中する。
 人の一生は現在の集積である。 斯くして一生を終われば、最もよくその一生を充実したことになる」と。


う~ん、これね…
読んだ時に例の宗教関連の話と引っかかるのかと思ったのだけれど。
読むと宗教とだけ言い切るのはちょっと違う気がする。
心の安寧というよりは、どちらかというと軍人の本分、軍人としての心持ちという話かなと。
とはいえ、そういう方面に若い頃から関心はあったんだね。

ちなみに文中の勅諭の五箇条は軍人勅諭の五箇条のことです。

一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を尚ぶべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、軍人は質素を旨とすべし


で、小柳の話で面白いなと思ったのは、


この訓話は深く心の琴線に触れるものがあったが、五箇条の聖訓がすべてだとの信念は、
秋山さんがいろいろなものに頭を突っ込んで、さんざん苦労した揚句到達した結論で、
そのような道程を経ず、只天降り式に五箇条だけが将校たるべきものの精神の根源だと押し売りされても肯首できない。
将校として日本海軍の支柱たるべきものには、もっと深いよりどころを持たねばならないと思った。



批判精神が育ってまいりました。笑
ただ小柳は海軍兵学校の詰め込み一途の勉強や上級生の鉄拳制裁等のスパルタ的な空気に非常に懐疑的・批判的であったと告白しているので、余計にそういうことを思う人だったのかもしれない。



批判精神というのではないけれど、そんなこともあったのか~という話。


●戸塚道太郎 (38期。同期に栗田健男)

○大正2(1913)年 笠置乗組み

笠置は当時第3艦隊の旗艦で、司令官は名和又八郎。
笠置の艦長は飯田久恒、副長は匝瑳胤次。

飯田の出現率高すぎる。笑。
匝瑳さんは3回目の旅順港閉塞作戦に参加しています。
読みが難しくて中々覚えられなかったわ~

匝瑳は関東の難読地名の横綱だそうです。
ちなみに関西の横綱は宍粟(しそう)。県民でも覚えるの苦労した(笑)


前の副長は大酒呑みで、酔っぱらってはよく兵隊をつかまえて殴るので、日頃ガンルームでは反感を持っていた。
ガンルームに対しても中々副長の風当たりが強かった。
某夜、若い士官がガンルームで酒を飲んでメートルを揚げているところへ副長が入って着た。
口論が段々激しくなって、ガンルーム士官がみなで副長を殴った。
酒の上とは云い、只事ではすむまいと覚悟していたところへ、其の当夜は北京に主張中の飯田艦長が帰って来た。

早速二、三の次室士官が艦長室に呼ばれて
「何か副長に悪いところがあるか」
問われると
「いや副長は立派な方です。今回のことは全く私共が悪かったのです。まことに申し訳ありません。如何か御処分を願います」
と素直に皆が謝罪した。

その後、この副長は間もなく転任になったそうだ。
たとえ私怨はあっても、公的には決して上の人の悪口を言わぬと云う当時のガンルームの気分が伺われる。
それが買われたか誰も処分は受けなかった。



どっちもどっちっちゅうか。なんちゅうか。
下世話ながら前の副長って誰なのかと思って簡単に調べてみたけど、よく分からなかった。


○大正3(1914)年 笠置乗組み

※第一次世界大戦時、青島陥落後笠置は機関候補生の練習艦に

艦長は古川鈊三郎、副長は島崎保三。
艦長は知らん…(ごめん)
島崎はこの方も旅順港閉塞の勇士です。
日露戦争開戦前から閉塞の計画を立てていた、有馬良橘を中心とした成仁録のメンバーのひとり。
第1次の閉塞作戦に参加。


島崎副長は旅順閉塞の勇士でもあり中々威張っていた。
時々ガンルーム士官を集めて元気がないなどと訓示をしたこともある。
次室士官は少なからずレジスタンスを感じていた。

私は副長付で甲板士官をしていたが、鎮海在泊中に笠置の陸上運動会を催したことがあった。
ガンルームは申し合わせて艦内に居残り、私の外は誰も陸上に行かなかった。

副長はかんかんに怒って帰艦すると、間もなく次室士官を後甲板に集めて
「貴様達ストライキするとは何事だ」
と難詰した。

ケプガンは平気な顔をして、
「前の副長は何時でも私を呼んで通達されましたが、副長から通知がありませんでしたから、
ガンルームは誰も出ませんでした」
と弁明すると

「自分が巡検を終わって、明日の行事を言えば艦内通達だ。今後と雖も一々通知はしない。そう思え」
と厳達された。
中々副長も強気で弱みを見せない。

その後、島崎副長は朝日の副長に栄転されたが、横須賀に入港すると、ガンルーム宛に次のような一通の手紙が副長から来た。

「笠置在艦中、小官は粗笨の質を以って、艦内行政を強施せる嫌あり。これに対する諸官の犯行は、
小官に多大の教訓を与たり、鳴謝に堪えず。就いては一席設けたいから某料亭まで来てくれ」

と痛快な手紙が来た。

我々次室士官は、前副長の好意に甘えて多数参会し、飲むほどに酔うほどに大いに蒸汽があがった処で、
副長は平手で暫くケプガンの頭をたたいて
「貴様はおれに一発喰わしたな」
と笑っていた。
誠に面白い一幕であった。
昔の士官はこのように、まことに淡々たるところがあった。



笠置のガンルームは副長にとって鬼門だったんじゃないのか。
(笑) 

 ※「続き」に拍手のお返事があります
>2014/6/22 11:54 初めまして。たまゆらの続きが~ の方

懐かしいものを読んでいただいてありがとうございます。
すいません、滅茶苦茶長い間連載が止まっていまして…
2・3ストックがないことはないのですが、この数年の間であの時代の新しい研究書が出たりで、このまま進めていいのかな、というのがありまして。
そうなると1から資料も読み直しということになり、ちょっと二の足を踏んでいます…^^;
(読んでる人いるのかとも自分では思っていましたし)
とは言え続けたい気持ちはありますので、気長~にお待ち頂ければ幸いです。
拍手ありがとうございました!
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