Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

Extraordinary

山梨遺芳録より (第4回)


秋山真之が第一次世界大戦の視察の為に欧米に出張した話は色々と紹介されていますが、話の出所は山梨勝之進かな?
『秋山真之』(桜井真清/秋山真之会/1933)にもこの時の山梨の話が掲載されています(「秋山将軍欧米視察旅行記」)。

前回書いた通り秋山真之(当時少将)に同行したのが山梨勝之進中佐、英国駐在になるからという事で山梨の同期鳥巣玉樹という中佐も同行(『秋山真之』(田中宏巳/吉川弘文館/2004)によるともうひとりいたみたい)。
期間は大正5年3月から10月末までの約8ヶ月間で、赴いた国は大雑把に書くと以下。


(朝鮮・ハルピン経由シベリア鉄道利用)
ロシア(ニコライ二世より勲章授与、クロパトキンと会談) → (北欧経由) → イギリス>(ユトランド沖海戦の直前に渡英) → フランス → イタリア → イギリス → アメリカ

大戦の該当国では大本営に顔を出し、戦況を聞いたり実見したり、ロシアでは最前線にまで出ていたようです。
イギリスは同盟国でもあり、古くからの馴染みのある国でもあり知人が沢山いる。
それに秋山が日露戦争時にはアドミラル・トーゴーの側で作戦計画を立てていた人ですから、歓迎もされたようですし結構な便宜が計られたんじゃないかと思う。

ただ流石にロシアでは良い感情は持たれていなかった。それは仕方ない。
ロシアでの戦線視察の際には、北部方面の指揮官であったクロパトキンと会談している。
当時のクロパトキンは頬は落ち肉は痩せ、皮膚は弛んで気勢が上がらず、往年の面影はなかったとありますが、日露戦争でしか触れることないので、こういう所で出てくるとやや驚きがありますねえ…

*

秋山真之


ロシア滞在時、大本営を訪ねた際にロシアの海相が秘中の秘として計画中の新型戦艦の設計図を見せてくれた。
チラリズム。2分とかそこら。
秋山は帰りがけにトイレに入り図面の要点を書きとめ、宿舎に帰ってから共にいた人々に見せたが、それが要点を捉えた立派な図面で一同が驚いた。


秋山さんの頭は、終始旋風器のように、高速で回転し、ワン・グランスで、写真のように、鮮明に頭脳に焼きつくのであろう。
また、平素から深くその方面の研究をして、素養があるから、一瞬にして要点をとらえ、即座にそれを組み立てることができるのであろう。
非凡というのほかない。



一目で写真のように、という件で田中角栄を思い出すのは私の他にもいる筈だ…
確か早坂茂三さん(田中角栄の秘書だった)の本にそういう記述があった。
角さん、ものすごい記憶力だったそうです。


私は兄の好古(陸軍)大将にはしばしば会った。
この人は、騎兵出身でフランスに留学し、まことに立派な大将軍の器であった。
弟とは、人物のスケールが違っている。
よく、
「真之のことを、海軍では名士だとか、なんとかいって騒いでいるが、あんなものがどこが偉いのだ。海軍というところは、案外人物がいないなァ」
と言っておられたそうだが、真之提督にもいろいろ欠点があったろうが、常人には、とても追随ができない非凡なところがあった。



兄ちゃん、それ兄ちゃんの思うてる名士と違う!

海軍で名士は変人の事や!(笑)

思わず笑う。突っ込んでよ山梨さん(笑) 
でも、人物のスケールが違っているというのは、まあ分かります。
秋山兄弟は、「兄は鉈、弟は剃刀」と称されたと言われますが、そうだろうな。
人間の持ち味の違いだと思う。

山梨には秋山の頭脳は本当に非凡なものと映っていたようです。
余程印象的であったのか、この時のことを山梨は昭和41年、海上自衛隊幹部学校学生に対する講和でも話していて、


「非常にすばやい鋭利な人で、ちょっとあの頭というものは、どんな頭なんだろう」
「秋山さんも頭の働きかたが、われわれには、わからんところがあった」


こういうことを口にしている。


ロシアに行ったときに、今計画中だという一等戦艦の図面を出して、極秘中の極秘のものを、こんな設計の図面を出して拡げて見せた。
これは、われわれの今考えている計画だ。
そうすると、わたくしと鳥栖大佐、米内、三宅など五六人で見ているわけで、鳥栖は、わたくしの級の人で、<略>、非常に頭のよい人であった。わたくしなどは、こうして見て帰ってくると、なにも覚えていない。

ところが、秋山さんは、帰ってくると、すぐ便所にはいる。
そして、しばらく考えている。
便所から出てきてから紙を出せという。そこへ図面を書く。
長さと巾の比例とか、曲線の具合とか、断面の鋼鉄の具合とか頭に覚えている。
「だいたい今日見たロシアの計画の線、どうかね、みんな覚えているかね」
というと、だれも覚えていない。

ある一分か三十秒の間に、<略>、頭がくるっとまわって、体操するようなものだろうと思うのである。
あの働き具合は、われわれ知っている海軍の先輩のうちでは、秋山さんひとりの持ちものであった。
要点要点が五つか、六つあるのを、それをくるっと電燈のようにまわすのである。頭の働きが。
そして覚えていて、図を書くのである。


速記録なのかな?
話し言葉そのままのようで、少し分かり辛い所もありますが特に問題なし。
鳥栖は鳥巣の誤字です。米内は米内光政少佐。三宅は三宅駸五少佐。当時ロシア駐在。

http://blog-imgs-59.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0010.jpg

米内は家計が余りに火の車で、人事局にいた同期が見るに見兼ねてロシアに出した(※手当が多い)という話位しか覚えがない^^;
家にある米内関係の本をざっと見てみましたが、ロシア革命の話がメインだなー…
なんか感想とかなかったんか米内さん。笑。

そして秋山はイギリスでも上とほぼ同様の事をして見せていて、その時の山梨の感想が、


あの頭の働き具合というものは、ちょっと普通の人は、まねのできることではない。
そのような頭の働き具合であった。



山梨は大正期から昭和初期の日本海軍の支柱のひとりで、加藤友三郎も堀悌吉も山梨には大きな信頼を置いていた。
軍縮という弾を撃たない戦争を戦い(この方の場合皮肉な事に国内で…)、対立した末次信正に
「山梨の如き智慧多き人にはかなわず」
と言わしめた人物(『昭和史の軍人たち』秦郁彦/文芸春秋/1982)。
順当に行けば海軍大臣にも連合艦隊司令長官にもなっていただろう。

そういう人が秋山にこうした感想を持っているというのは、ましてや常人には到底計り知れない所があったのだと思う。
記憶力がずば抜けていいとかそういう事じゃなくて、そもそもの頭の回路が違うんだろうねー…
賢いとか、どうもそういう言葉では表すことのできないような感じ。

印象に残る話でした。

他にも『坂の上の雲』の初めの方に載っていた秋山の生まれた頃の話などもありましたが、そちらは割愛^^
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