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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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Changing(6)

秋山真之会の『秋山真之』、出版は昭和8(1933)年です。
第一次大本事件が大正10(1921)年、第二次大本事件が昭和10(1935)年。

事件というと大本教が何かを起こしたかのようですが、実際には国家からの弾圧です。
幾つか理由がありますが、その内のひとつには天皇制と反するという点がありました。
大本の神様が皇祖である天照大御神よりも上位神だということで、国家神道を下に置いている。

知識人の大本への入信は浅野和三郎や秋山真之らが代表例ですが、彼らを皮切りに 大正5・6年頃から増えたようです。
第一次大本事件が起きた大正10年頃には、陸海軍の高級将校、三井物産の重役等の実業家、学者、有名雑誌社の重役といった各界のステイタスある人間が入信、また教団の幹部になっている。
それに本部で働く人々の大半が東大京大、早稲田慶応一橋(当時商大)、立命同志社といった当時の大変な高学歴、本当に知識人層、エリート層が集まっていた。

特に東大は官僚を作るための学校で、東大出身はイコール国家公務員、イコール社会的エリートになります。
国家中枢に入る確率が非常に高い人間である。
それは陸海軍軍人も同じ。
国を動かす可能性がある人々が思想的には国家(神道)と反する宗教を信奉する、ときたら、そらもう大問題です。

それにね、昭和初期頃だと思うけど、当時の大本教の信者は800万人。
これ、去年のNHK特番で出ていた数字ですが、正直私ビビりました。
そんなにいたと思わなかった。
だって昭和10年の日本の人口は約7000万人です。
国民の1割以上が大本信者という計算になる。


浸透している層を見ても、人数を見ても、大本教の問題は本当に深刻だったと思います。
ある一定の思想を持った集団(しかも国家神道と反する)が天皇制や国家の政治体制を揺るがしかねない、と当局は見たのではないか。
そうしたことがあっての大弾圧だったと思う。
実際第二次大本事件で大本教はほぼ壊滅します。


第一次大本事件(T10)の際、事件の2年ほど前から関係局が調査をしていたようです。
恐らく第二次(S10)の際も同じで、継続して監視していたと思われます。
アジ歴で関連資料が幾らか出てきましたが、後者の資料で浅野正恭尋問に関する文書があって私はビビりましたよ…
この方大本から離れて既に15年ですよ、15年。
単発的に大問題になっているけれど、事件はずっと生き続けていたことが分かります。


秋山真之の伝記はその間に出ている。
秋山と大本教の関係、伝記でよく書いたなと思いますが、これ、書いた上で関係を否定しておきたいという意図もあったのではないかと思うんですよ。
歯切れが悪い、とか、誤魔化しておきたい、とか、そうしたことだけじゃなくて。

前に見たように、秋山の勧誘で入信した海軍関係者がいる。
実際山本英輔のように、秋山がそう言うからという理由で綾部にまで行った人だっている。(この人は入信はしてないと思うけど)
秋山が言うから、行ったんだよ。
それに海軍に入った秋山よりも下の世代、もっともっと若い世代には、日露戦争時の連合艦隊の先任参謀であった秋山を神様みたいな人だと思っていた人が結構いてだな…

一時的にせよ秋山が大本教信者であったというのは、結構影響があったのではないかと思うんだよねえ…
現在の私たちから見れば大本教はそんなに知られている宗教ではないと思いますが、当時は違いますからね。
戦前の一番大きな新興宗教です。

伝記が出版された時期を見ても、秋山が信者であったという事実は都合が悪かったんじゃない?
各方面で。
軍人が、しかも一般にもよく知られた花形軍人が、よりにもよって不敬罪に問われた宗教の信者だなんて、当時としてはとてもじゃないけど肯定できなかっただろう。


『秋山真之』(秋山真之会/S8)によると秋山が宗教問題を考え始めたのは日露戦争直後からのこと。


日露戦争中連合艦隊先任参謀として専ら作戦計画の衝に当り、
小は艦隊の勝敗より大は国家の興廃に至るまで己の方寸に掌りたる為、
時に難に臨み危に際しては人間力以上の何者かの力を感じ且つ認めざるを得なかつた。

<略>
日本海々戦報告書の冒頭に「天佑と神助に依り」とあるに徴してもその一端を窺ふことが出来る。
而かも重任を負ふ将軍としては之を簡単に天佑とか天災とかの一語を以て片付けるには
余りにも大きな且つ不可解な力であつたに違ひない。



それで霊力の問題を研究していく内に宗教問題にまで研究が及んだ、とあります。
”研究”の動機としては分かる気がします。
これだけではなくて、『坂の上の雲』で司馬遼太郎が触れていたように戦争を通しての色々な苦悩もあってのことだと想像しますが。

伝記には秋山が宗教に近づいたのは研究の為だとある、と前回書きましたが、それはある意味あたってると思う。
信仰じゃなくて、答えのないものに答えを求めすぎたんじゃないかな~と個人的には思う。
休む間もなく突き詰めて考え過ぎる人だったんだろう。

ただ思うのは外野は所詮外野だということかなあ…
秋山の肩に乗った責の重さは秋山にしか分からない。
そしてそれに伴う苦しみも秋山にしか分からないわけだし。
周囲から見ておかしくなったかと思う程縋りたい何かが大本教にはあったんだと思う。その時の秋山には。
「皇国の興廃はこの一戦に在り」の日露戦争は、それだけ人間の心をひずませる重圧だったのだと思うよ…
見ていると秋山は意外と繊細で優しい人であったようなので余計じゃないかな。

秋山は晩年宗教で道を誤ったとはよく言われるけれど、実際にはそうなる程の苦しみを日露戦争で抱えたということを、寧ろそちらの方をよく知っておくべきだと思うなあ。
それにそこまで神経をすり減らして国を守るために戦ってくれた先人への感謝を忘れたらいけないと思う。
秋山と宗教、大本教の話を見ると、いつもそう思います。


この話はここでおしまい。
思いの外長引きました… 
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