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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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Changing(5)

秋山と大本教との蜜月は長くは続かず、半年程で決裂します。

『冬籠』を見ているとその原因のひとつは秋山自身の失言。(大地震がいついつ来ると予言して回った)
もうひとつが病気であった秋山夫人への大本教流の治療を見ての不信感の芽生え。(治らない)
『神の罠』には大本教主顧問になった秋山の大言壮語で出口なお(教祖)が立腹し、喧嘩別れになった、とあります。

幾つかの理由が複合してるのではないかと思う。


理由の内のふたつめが、『冬籠』を見ているとかなり深刻で。
深刻でっていうか…
第三者から見るとドン引きですわ…マジで…(※秋山ファンです)

この辺りになると、宗教どうこうよりもはやオカルトになってます。内容が。
心霊とか予言とか正にそんな感じだけどさー
秋山や秋山夫人が病気に罹ったりするのは悪霊の妨げ、大本教から離れろと秋山に忠告する周囲の人間も悪霊の妨げ、とか。
すいません私そういうのはちょっと。
(真顔)

大本教を信じて医者から処方された薬を捨ててしまうとか、盲腸炎の手術を受けないとか周囲は本当に困惑したと思う。
家族も大変だっただろう。
「秋山は気が触れた」
と一時言われていたこともあったと言いますが、『冬籠』に描かれている状態を見るとそう思われても仕方ない気がする。


そんな状態を見て、やはりというか何というか、海軍部内に秋山の事をものすごく心配した人がいた事が『冬籠』からは読み取れます。
浅野和三郎が言うにはそれが「悪霊の妨げ」な訳ですが。
ちゃうがな…


気の毒だから姓名は預かって置いてやるが、秋山さんの大本信仰に対して、
最も強硬に忠告?を試みた友人の一人は、海軍部内で有名な某将官であった。
自分も同席に列して居たが、しきりに莫迦なことを並べて、
秋山さんの若い信仰を揺せようと努め、殆ど聞くに堪えなかった

<略>


秋山さんの親友を以て任ずる海軍部内の某々将官連は、よく斯んなことをいう。

『大本は邪教である、あの惜しむべき秋山が、大本の為めに後半生を誤ったではないか』
云々。


友人のひとり、部内で有名な某将官。
誰か分からないけどこれ、もしかしたら同期の森山慶三郎じゃないか…
この人はそういうことを遠慮会釈なく言ってくれそうだ。

助言があってという訳ではないようですが、秋山は約半年で大本教を離れ、離れただけでなく今度は邪教だと罵るようになります。
ただその大本非難も長くは続きませんでした。
秋山は翌年大正7(1918)年の2月4日に亡くなった。


『秋山真之』(秋山真之会/S8)には、秋山と宗教との関わりについて触れている所が2か所あります。
ひとつめが「宗教問題の誤解」、もうひとつが「人生的煩悶」。
曰く、秋山は


・一個の宗教を得てこれに帰依しようといふのではなく、
 各種の宗教の原理を抽出してそれを統合した上確乎不抜の心理を把握しようとした


・自分一個の心に独自の宗教を大成しようとする為に、
 大本教其他も原理把握の前の一素材として接近したに過ぎなかつた


・しかし将軍が大本教の信者であつたとの誤解は今尚ほ世間で相当大きい。
 が、これは将軍と生前厚誼があつても、将軍の精神内容に触るゝ暇がなかつた人にこそこの誤解は存すれ、
 少しでも其点に触れてゐる人は、いづれもそれを否認してゐるのである。

・将軍を大本教の狂信者と認めないまでも、将軍が大本教に近づいたといふことは将軍の威望を
 損ずる一種の過失であつたとの見解は相当に行われてゐる。



要するに宗教にはまったのではなく、研究の為だったと言いたい訳だ。
まあなんというか、非常に歯切れが悪い。
そして後者2点、一般的にはこう捉えられていたということが分かります。

キツい言い方をすると、関係者にとっても大本教との関わりは秋山の汚点だったのだろう。
本当に、
『あの惜しむべき秋山が、大本の為めに後半生を誤ったではないか』
これだったんだと思う。


でもね、普通は伝記に黒歴史なんて書かないのよ!^^;
誤魔化して書いて当たり前!触れてあるだけマシ!

そうなんですけど、そういうことを措いても、伝記出版の時期や大本教のスタンスを考えると、当局にとって非常に都合が悪いことがあったのだと思います。


続く!
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Comments

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2014-06-18 07:16  『秋山眞之』
MV #65
>誤魔化して書いて当たり前!触れてあるだけマシ!

『秋山眞之』の立案監修をやったのは水野広徳ですからね~。
彼の性分からして、オブラートにくるむのは許容しても、触れずに済ますことは出来ないでしょう。

水野の日記が昭和14年の分だけ残っていますが、その時期水野は桜井真清からの依頼で『秋山眞之』の改訂をやっています。
どこに書いてあったかすぐに見つからないのですが、宗教関係の史料をみると秋山はこの時期発狂していたんではないか、というような記述があったと思います。

その改訂、引き受けるんじゃなかったと後悔しながらも責任感で完成させていますが、刊行された気配がありません。
原稿がどこかに残っていたら読みたいです。
2014-06-18 22:20  >MVさん
ヒジハラ #66
やっぱりこうしたことは関わった人のスタンスが現れるんですかねえ…
推論ですがこういう事情もあったんじゃない?と思うことがあり、それはこの(6)に書きますのでそちらをご覧いただければ幸いです。

水野の日記…
驚きました。そういうことが書かれていましたか。
紙の上から見ているだけでも「え、秋山どうしちゃったの」と本気で思う位なので、秋山本人を知っている人々からしたら気が触れた、もしくは発狂したと見られても仕方ない状況だったと思います。

というか、改訂完成したのに刊行されていないんですか…
も、勿体ない…^^;
確かに原稿が残っていたら読んでみたいです。
2014-06-20 07:25  ニュアンスがちょっと違いました。
MV #68
日記には、こうありました。

二時頃故真之氏長男秋山大氏約ニ依リ来訪。真之氏ノ信仰関係並ニ思想傾向等ニツキ談アリ。種々手紙ヲ見ル。真相判シ難キモ精神ニ異常アリタリヲ疑ハズ(或ハ一時的カモ知レストハ云ヘ)。

水野は他人の信仰は尊重するけれど、自分は宗教っ気がまっっったくありませんからねぇ。
嫌いですらなく、関心が無いんです。
自分が死んでも戒名も経も要らない、でもそれじゃ世間的に都合が悪ければやってもいいよ、と言い残しているくらいで。
だから、感覚的には理解できなかったのではないかと思います。
2014-06-20 21:59  >MVさん
ヒジハラ #72
わざわざご確認いただいてありがとうございます…

「精神に異常ありたりを疑わず」でも大分キツいニュアンスですね。
私自身の宗教感覚は現代の一般的なそれだと思いますが(季節ごとの法事位しか関わりがない、そんなに考えない)、それでもちょっと理解でき難く、そこまで行っちゃうか、という感じですし。
宗教っ気が全くないというなら本当に理解不能だったんではないでしょうか…

大本教にはまった知識人、家族や自分の病気・死別が切欠でという人が結構いたようです。
浅野も秋山も、浅野を勧誘した元海軍さんもそうでした。
もしかしたら宗教観云々より持っている経験により理解度は左右されるのかもしれません…
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