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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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Changing(4)

続き。

(以下引用は『冬籠』>[一、綾部の冬籠]>(3)~より)(別窓)


秋山真之は大本教云々という前に、浅野和三郎という人物が初対面で結構好きになったのだと思う。
浅野の経歴を見ても、理論的に説明ができる、という点においても。
とは言えそれから遠くない将来に決裂するわけだけど。

秋山が大本教に入信した結果、どういうことになったか。


秋山さんが先鞭をつけてから、 大本部内には海軍士官の来訪が一時に頻繁になった。
大部分は軍艦「吾妻」の乗組員で、皆秋山さんから勧告された結果であるのはいうまでもない。
暮の二十日過ぎから翌大正六年の正月七日頃迄、大本部内は一時海軍村を形成する有様であった。
<略>
佐官級もあれば、尉官級もあり、将校もあれば技術官もあったが、何れも元気旺盛の猛者ばかり、
降り出した大雪を事ともせず、又大晦日や元日のお構えもなく、ドシドシ詰めかけて来た。



布教しとるがな…^^;
はい、秋山の影響を受けて大本教に入信した海軍関係者は多くいたといわれます。
これには当局者もかなり困惑、迷惑したと読んだことがあるけれど、本当にそうだっただろう。


浅野和三郎には正恭という兄がいます。
この方が海軍軍人で、15期、広瀬武夫と同期になります。
前に浅野和三郎が海軍機関学校の英語教官として17年間奉職していたと書きましたが、『神の罠』の松本健一によると当時の状況や兄の勤務先を慮るに、これは兄の斡旋であったのではないかとのこと。
それを擲って、しかも新興宗教に入るということで、この兄も大反対した。

ただ、どういう心境の変化があったのか、後に正恭も入信しています。
そしてこの人も部下や同僚を勧誘しまくった。
田中宏巳『秋山真之』にも触れている箇所がありますが、呉工廠勤務から海軍技術本部出仕になり大した仕事もないまま予備役に編入された。
大本教の布教活動が問題視されたのは疑いないとありますが、その通りだと思います。
当局の目の届く所、かつ窓際、ということだったのだと思う。
もし秋山が長生きして大本教と離れずにいたら同じような感じになってたのかなあ…
ちょっと分からないけど。


ついでなので。
15期には竹下勇がいます。
広瀬と親友ということで今まで頻繁に登場している竹下勇ですが、この方非常に武道、武術が好きで日本刀コレクターでもあった。
広瀬は講道館柔道の前に起倒流柔術を習っていたのですが、その道場に連れて行ったのがこの竹下です。
尚武の地、薩摩出身だし、そもそもそういうのが好きだったんだろうね。

合気道が世に出たのも竹下の力添えがあってのことなのですが、合気道の開祖植芝盛平は大本教の信者だった。
大本教の本拠地綾部にいた植芝を竹下に紹介したのが浅野正恭なんですよ。
これ、単に武道が好きな同期に武道の達人を紹介しただけなのか、という感じですが。
普通だったら一種の勧誘活動だったんじゃないかと思うよねー
でも違う。
大正15年頃の話で、5年前に第一次大本事件が起こっており、浅野兄弟は既に大本教を離れています。


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清は山本権兵衛の息子、英輔は甥


植芝は竹下の希望で上京し、島津公爵(旧藩主)、山本権兵衛、西園寺八郎(公望の婿養子)といった名士の前で武術の実演をしています。
山本権兵衛なんかはかなり感心して、薩摩人は支持を惜しまない、とまで言い出した。
そこから青山御所で侍従武官や側近に武道を教えるところにまで話が発展しています。(実際教えていた)

ただこの時点でこの方々、植芝が大本教ということは知らなかったようで、結構な騒動になったみたい(警察、検察、内務省、宮内省といった周囲が)。
植芝としては不愉快なことが多く、上京して綾部に帰りというのを2・3度繰り返した所、山本権兵衛と竹下の口添えで警察からの監視はスルー。
山本清が借家を準備してくれたり、山本権兵衛が援助してくれたりと、上京した際は山本家の人々がかなり植芝を助けていたようです。

更に武術繋がりで15期にはなかなかすごい人がいまして、柳生新陰流の達人、下條小三郎。
上写真、植芝の左側の人。
そして「しもじょう」ではなく「げじょう」です。読めん。
柳生厳周の高弟でして、竹下、浅野に植芝を紹介され、植芝に柳生新陰流を教えることになった人。
色んな人いてるわ~


上写真の右側に山本英輔が写っていますが。


六月九日には山本海軍大佐が参綾した。
『秋山さんが是非行けといわれましたから参りました。尤も、出張先ですから余り暇がありません』
この時分の秋山さんは、誰を捉えても熾かんに綾部行きを勤めたものらしい。
この秋山氏が僅々一箇月後には、口を極めて大本攻撃をやったと思うと奇妙な感がする。


ハイ。
秋山の勧めで大本教を訪れておりました。
しかしながらこの時から山本とは一度も会っていないと浅野は書いているので、この人は入信はしなかったんだろう。
『秋山真之』(秋山真之会編/S8)には山本から見た秋山と宗教に関する観が載っています。


将軍は宗教に入り切るには、余りに理性があり過ぎる。
宗教に没入してしまひたいにしても、最後の一分といふ所で入りきれずに悩んでゐたのではないかと思ふ。


最後の最後に理性が勝ってしまう、それは浅野和三郎も同じことを思っていたようです。


続く。 
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