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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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Changing(3)

続き。
ってゆうか今日は更新頑張ってる。笑
(引用文が多いからよ…)

(以下引用は『冬籠』>[一、綾部の冬籠]>(3)~より)(別窓)


尤も秋山さんが、神霊問題に就いて、かくも理解が鋭かったのは、ただその頭脳が雋敏であるという以外に、別に有力なる原因があった。
外でもない、その日露戦争中に於ける貴重なる霊的体験であった。



浅野いわく、秋山真之から彼が聞いた日露戦争中の不思議体験はふたつあります。
ひとつは、第2艦隊(上村彦之丞)のウラジオ艦隊追撃の辺り。
もうひとつが日本海海戦の時の話。
ここでは後者、バルチック艦隊が対馬を通るか津軽を通るかと迷いに迷っていた時の話に触れます。

ちょっと長い。 長い。


いうまでもなく味方はあらゆる手段を尽して其の情報を得るに努めては居るが、神ならぬ身には絶対の確報は得られない。
前年の浦塩艦隊の場合と趣きは相類似して、而も軽重の差は雲泥の相違があった。

五月も廿日を過ぎてからは心身の緊張が一層極点に達した。
<略>
この時の秋山参謀の責任は山よりも重かった。
官職こそ一中佐であれ、実は全連合艦隊の首脳中の首脳、精髄であった。
幾日に亙たりて、着のみ着のままゴロ寝をする丈け、真に寝食を忘れて懸命の画策考慮に耽って居た。


『忘れもせぬ五月二十四日の夜中でした』

と秋山さんは当時を追懐しつつ話をつづけた。


『余り憊(つ)かれたものだから、私は士官室に行って、安楽椅子に身体を投げた。
他の人は皆寝て了って士官室は私一人だけでした。
眼をつぶって考え込んで居る中に、ツイうとうととしたかと思うた瞬間に、例の眼の中の色が変わって来た。

そして対馬海峡の全景が前面に展開して、バルチック艦隊が二列を作り、ノコノコやって来るのが分明に見えるのです。
占めたと思うと、はッと正気に返って了った。
浦塩艦隊の時分の霊夢には多少魔誤(まご)つきましたが、今度は二度目ですから直ちに神の啓示だと感じました。

モウこれで大丈夫だ、バルチック艦隊は確かに二列を作って対馬水道にやって来る。
それに対抗する方策は第一には斯う、第二には彼(あ)あと、例の私の七段備えの計画が出来き上がりました。
それから二十七日迄、随分待ち遠しくて耐らなかったですが、肚の底に確信がついて居ましたから、割合に気が楽でした。

いよいよ二十七日の夜明けとなって、御承知の通り、信濃丸からの無線電信で敵艦の接近が判り、
とうとう会戦という段取りになったのですが、驚いた事には敵の艦形が三日前に夢で見せられたのと寸分の相違もありませんでした。
一と目それと見た時には、私は嬉しいやら、不思議やら、有難いやら、実に何とも言えぬ気持でしたよ……』


日本海々戦の檜舞台の花形役者から初めての打明け話を聴くのであるから、実に面白かった。
作らず、飾らず、勿体もつけず、海軍流の淡白な、洒落な態度口調で、物語ってくれるのが何よりうれしかった。
秋山さんはその時斯んなことを言って居た。


『兎に角私には日露戦役中に二回まで斯んな事がありましたので、いざ戦報を書こうとして筆を執った時には、
自然と天祐と神助とによりてと、書き出さぬ訳に行かなかったです。
実際そう信じて居たので、決しておまけでも形容でもありません』


尚秋山さんは次のような事も言った。


『ドウも東郷大将にも、確かに一種の霊覚があったと私は信じて居ます。
寡黙なる方ですから、御自分ではあるとも無いとも仰れたことはなかったですが、そう 信ずべき理由があったです。

旅順を封鎖して居た時のことでしたよ。
敵の艦隊が夜間こっそり、その錨地を奥の方に移したことがありました。
前日まで沖から見 えて居たのに、何処にも敵の影らしいものが、突然なくなったのですから驚きました。

こりャ封鎖を破って脱出したのではあるまいかと、私なども大変慌てまし た所が東郷大将は、敵は内に居ると、
ただ一語断言されたきり、平然として相手にされなかった。
段々探した結果、内港にすッ込んで居ることが突きとめられ ましたが、彼様(あんな)時の大将の超越した態度は、
ただで出来るものではありません。確かに霊覚か何かがあったとしか思われません』



…いや、なんてゆーか、申し訳ない…
正直な所、はい、どういう反応をしたらいいのか。
実になんともいえぬ気持ちは私ですよ秋山さん…orz
突き抜けた先に人知を超える何かだったり、科学で説明できない何かだったりがある(かも)というのは、分かる気がするんだけど。


この文章を読んだ時、易聖と言われた高島嘉右衛門を思い出しました。
高島は横浜を作り上げた実業家ですが、的中率の高い易者として有名でして(高島易断)、当時の一流政治家や実業家と非常に近い人物でした。
伊藤博文とは、特に親しかった。
というか、伊藤の養嗣子(井上馨の兄の息子)の妻は高島の娘である。

この高島は一度だけ秋山と会ったことがあるそうで。
いわく、


秋山は稀に見る天才だ。
だが天才と狂気は紙一重で、晩年は恐らく道を誤るだろう。
しかしそれは日本の将来には何の障りもない。
今は(※日露戦争の最中)はその才を発揮させるべき。


大昔過ぎて何の本で見たか覚えてない。
ただ大本教と秋山のかかわりを見ていると、もしかして道を誤るってこの事だったんじゃないかな、と思ってしまう。

ちなみに高島は卦で伊藤博文の暗殺を見、それを渡韓前に伊藤本人に伝えていたのだけれど、結局は暗殺を防げなかった。
それで他人を占うのは止めてしまったそうです。

私自身はそういうセンスが全くないので、半信半疑というか、えー?そうなの?というか、まあそういうのもあるだろうな、という感じ。
科学で説明できないことの方が多かろうと思う方なので、頭からの否定はしない。
昭和10年代に海軍が滅茶苦茶当たる観相学者を嘱託で雇っていた例もあるしなあ…
何にって、事故率の多いパイロットの適正判断に観相学(?手相見、人相見)を入れていた。
そういうのを見ると色んな不思議なことがあるなと思いますわー


まだ続く 
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