Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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今回の話の大まかな感じは「『大本教 民衆は何を求めたのか』 NHK」(前ブログ)と重なります。
そちらを見てからの方が分かりやすいかも。



以前『神の罠 浅野和三郎、近代知性の悲劇』(松本健一/新潮社/1989)という本を読んだのですが、中々面白かったです。

今まで何度か触れていますが、浅野和三郎は戦前の大宗教(新興)であった大本教の大幹部であった人物になります。
海軍機関学校に英語の教官として奉職していたのですが、それを擲って大本教に入信した。

『神の罠』を見ていて驚いたのですが、浅野、英文学者でラフカディオ・ハーンの弟子だった。
その上美文家として小説を発表していたり、シェークスピア全集(地元図書館にあってびっくりした)や英文学史を作ったり英和辞書の編纂を進めていたり、その傍らで機関学校に奉職したり(17年間)、当時のかなりのインテリ。
なんでこんな人が新興宗教にはまったんだ。


浅野には子供が4人いたのですが、3人はいずれも病弱、大病を患ったり長期間小学校に行けなかったり。
唯一健康だった子は社会人になってすぐに急逝。
それ以前には次兄の正恭(海軍軍人)が病気で待命になったり、長兄が働き盛りの年代で亡くなったり。
年代には開きがありますが、根本にはそうした家族の健康上の問題があったみたいです。

大本入信の切欠になったのは子供が原因不明の病気にかかったことでした。
何をしても良くならないので、どうにかしてやりたい一心で奥さんが行者の加持祈祷に頼った。
それを聞いた時、浅野はそんな非科学的なものを、と不快感を抱いた。

抱いたのだけれど、医学・科学の力で子供が治らないのが現実で、奥さんを叱る気にもなれず、むしろどんなものかと実際に確かめに行くことになります。
そこでちょっと幾つかの不思議な体験をしまして、しかも子供は○月○日に治るとまで予言され、予告日に治ってしまった、そうで。

浅野はそれまで一高、東大と高水準の教育を受けた新進の英文学者で、合理的・実証的・科学的といった西洋の洗礼を受けてきた人ですが、それまでとその後を見ると、それが大きく逆に触れている。


非科学的な方面に心が傾いだ時に行者の元で出会ったのが、機関学校で同僚であったとある予備役海軍機関中佐。
この人が大本教信者で、京浜地方の布教を担当していた人物だったそうです。
驚いたのだけれど、この人(飯森正芳)、舞鶴に停泊中の戦艦香取で乗組員250人に対して大本教の講演(つまり布教活動)をしたそうだ。
えー…
そんなのよく艦長が許したな、と思うんだけど…

とにかく、浅野はこの人から大本教の教団、教義、教祖のことを聞いて興味を抱き、関西で用事があった際についでに大本教の本拠・綾部(京都)に出かけた。
知的好奇心・探究心から立ち寄っただけのようなのですが、ビビビッと雷が走り、結局入信してしまった。
大正5(1916)年4月5日のこと。
その後海軍機関学校を辞めて綾部に移住している。


ちなみに浅野の後任教官は芥川龍之介になります。
横須賀、田浦にある海軍機関術参考資料室(海上自衛隊第2術科学校内)に行った時に芥川関係の資料も置いてあったよ。
芥川関連で訪問に来る見学者も多いって案内してくださった自衛官の方が仰ってた。


続きます 
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