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森鴎外の友人(2)

森鴎外の友人、続き。

東大医学部の明治14年卒業生には森鴎外の他、賀古鶴戸、小池正直、山形仲芸といった人がいます、という所まででした。
卒業者名簿を見たらジョン万次郎の長男、中浜東一郎もいたわー
びっくりね。
山形と同窓だったんだと思いましたよ…
実は中浜と山形、そして後ふたりいるんですが、肝臓ジストマ(肝吸虫)という寄生虫を一緒に発見した人たちです。
詳しいことは知らないけど、この一事で医学史に名前が残る人々らしい。


緒方惟準の弟、緒方収二郎が賀古鶴戸と仲が良かったと書きましたが、実はこの人たちと同窓だった。
そうなんだ。
ただ緒方は明治15年の卒業です。卒業の前に病気になり1年遅れた。
卒業試験が受けられなかったんだと思う。
うーん、あんたは森鴎外か、と(笑)

森鴎外も卒業試験前に肋膜炎に罹患しています。
ただ試験は受けた。
受けたのだけど、試験直前に病気になった上に下宿が火事で全焼、それまでの勉強ノートが燃えてしまうという痛恨の出来事が…
結果は散々だった。
東大を1番、2番で卒業したら、国が留学させてくれるんですよ。
鴎外は留学したかったんですけど、それがこれでダメになってしまった。
流石にかわいそう。

それを拾ってくれたのが同窓の小池正直で、小池は東大にいる時分からすでに陸軍の軍医生徒でした。
その小池が優秀だからと鴎外を石黒忠悳に紹介してくれ、陸軍に入ることになったんですね。
なりたくて軍人になった人ではありません。
多分学問を続けたかったんだと思う。

後年、石黒も小池も陸軍軍医総監(陸軍軍医のトップ)、森鴎外の上司になりますが、脚気対策として麦飯を給与することに反対した中心人物になります。
小池はちょっと微妙な所があるけどな。


賀古鶴戸も陸軍の軍医だったのですけど、緒方収二郎は一貫して民間の医師だった。
同窓生で緒方と特に仲が良かったのが賀古鶴戸だそうで、『緒方惟準伝』によると多数の緒方宛賀古書簡が残されているとのこと。
で、その中に緒方収二郎の兄、惟準の脚気論争の相手であった石黒忠悳を酷評している部分があるそうで。


「[石黒は]いづれ医学ハあんまりやってゐたものでハあるまじ」とか<略>
石黒にかなりの「ほらふき」の人物評があったように(土原註:賀古は)記している。



この書簡には、以下のようなことも記されているとのこと。


収君 尚令兄惟準先生ヲ陸軍カラ追ひ出しタノハボク等が出身後デアッタ。
松本[順]翁ハ一ヶ年中陸軍病院ニ顔ヲ出ス事ハ一両度デ次長が惟準先生と林紀デアッタ、
のち林が長ニナッテ惟準先生ハ近衛師団の軍医部長デアッタ。

其頃、夏デアッタカ。兵士が何歟食あたりで一夜吐瀉シタ、
かねて機会ヲねらってゐた彼石黒ハ朝早くク近衛隊ヲ問フテ、此ノ吐瀉ヲコレラダト大さわぎ立テ
惟準先生ノ出勤が寛怠ダト称シテソレゝゝ手ヲマハシテ遂に隠退サセタト覚えてゐる。

其の頃の者ハ何事も知らぬのう(能)なしで、軍医も学問ハ無し、唯石[黒]のいふまゝニナッテヰタノデある。
ナンデモ我々ハ出仕後余り年ヲ経ぬ頃と思ふ。(中略)

彼[石黒]が毒ニアタッタモノハ少カラス、唯盲従シテゐたものは長ク登用シテヰ

(昭和4年6月7日付賀古書簡)


緒方惟準が陸軍を辞めたのは明治20年の話。
明治14年に卒業で、賀古がすぐに陸軍に入っていたらすでに5・6年は経ってからの話だけど…
惟準の退官にかかる話が以前書いたものとは違っているけれど、石黒が手を回していた、というのは一致してますねえ…
伝記によると、賀古は石黒がまともな医学教育を受けていなかったことを痛罵しており、華族に列せられ、軍医界の長老としてもてはやされていたのが気に食わなかったんじゃないかとのこと。

て、ゆーか、さ、


彼[石黒]が毒ニアタッタモノハ少カラス、唯盲従シテゐたものは長ク登用シテヰ



それはあんたのもうひとりの親友の事か。

って思うんだけど…

緒方収二郎にしても、兄の辞職理由の詳細は知っていたと思うんですよ。
大阪の一般市民でさえ緒方惟準が脚気論争で陸軍を辞めたことを知っていたので。
弟だしさすがに本人から聞いてもいただろうし。
石黒の子分になっている森鴎外についてはどう思ってたのかな、とは思いますねえ。
それは上の手紙の書き方から見て、賀古鶴戸の方に余計に思う訳ですが。


じゃあ緒方収二郎と森鴎外の仲が悪かったのかと言えば、そうでもないらしい、っちゅうのがなんだか不思議である…
明治42(1909)年に緒方惟準・収二郎の父、緒方洪庵に正四位が贈位されるのだけれど、その時に熱心に動いたのは森鴎外で、時の陸相寺内正毅に働きかけたのも、森鴎外だった。

両者とも色々と思う所もあったかもしれないけど、険悪そう?と思うのは後世の人間の勝手な勘ぐりなのか…^^;
学校の時から始まった付き合いで親しかったというから、そもそも仲は良かったんだと思うけど。
辞表云々の話の当事者は緒方惟準と石黒忠悳で、緒方収二郎と森鴎外だと当事者から一歩程離れた所にいるし、明治20年だと賀古の言う通りふたりともまだペーペーだしなあ。

不思議というより、一筋縄ではいかんなあと思う所ではありました… 
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