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明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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森鴎外の友人

森鴎外でちょっと面白いというか、え、そうなの、という話を見つけてしまった。
面白いというか、森鴎外ちょっと気の毒というか、いや、別に気の毒って訳でもないんだけど(どっち)。
なんとも微妙と言えば微妙。
もっと早くにアップする予定だったのですけど予想外にずれ込んだ。


先月、大阪の史跡の紹介をしていた際に何度か名前を出した緒方惟準(これよし)。
緒方洪庵の嫡子、維新後は陸軍に奉職するも明治20(1887)年に辞表を当局に叩きつけ帰阪。
以後は民間の医者として、大阪の医学を大きく発展させた功労者であります。

新しい伝記が出ておりまして、それが何度か書名を出した『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』(中山沃/思文閣出版/2012)になります。
これまた素晴らしく分厚いため(1000P超)、興味があるって言っても読み通すのはとても無理(´Д`)
特に気になる所だけを拾ういわゆる飛ばし読みでござる。


天王寺にある真田山陸軍墓地を紹介した時、大阪鎮台(のち第4師団)の軍医堀内利国の墓所があることに触れました。
陸軍の軍医であった堀内は監獄の囚人の食事状況から脚気撲滅の足掛かりを得、実際にほぼ消滅させたというのは以前触れた通りです。
大阪鎮台の次に麦飯(麦と白米の混合食)を導入したのが東京の近衛、当時近衛の軍医長は緒方でした。

堀内は緒方の弟子であり、また緒方の義弟であります(緒方妹と明治一桁代で離婚しているけど子供もいるため親族であることに変わりはない)。
大阪鎮台の次に近衛が、というのは、こうした個人的な繋がりがあり情報の伝わりが早かったからだと思う。

明治20年には堀内が明治天皇に麦飯が効果ありということを奏上し、将官会議でも麦飯採用の建議をしたのだけれど、結果は不採用になっています。
一方の緒方の方でも、麦飯採用で白米採用派と論争になった。
近衛なんでね、天皇陛下の兵を実験にするなんてとんでもない!と。
それで麦飯供給に協力した緒方の部下の首が飛んだらしく、よくよく調べてみたら同僚石黒忠悳が裏で動いていたようで、それで怒り爆発。辞表叩きつけ。

ここまでが話の前提。(え)


緒方の弟に収二郎という人物がいるのですが、見れば東大医学部の卒業生で、賀古鶴戸と仲がすごくよかったらしい。
え?と思ってさ。
賀古鶴戸といえば森鴎外の親友である。


https://blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_06050181.jpg


有名な森鴎外の遺書、その口述筆記もしている。
このふたりは現東大医学部を明治14年に卒業した同期でして、他には小池正直、山形忠芸がいます。

山形忠芸は広瀬武夫の親族になります。
広瀬武夫の兄勝比古の妻春江の姉婿。ちょっと遠い。笑。
広瀬よりもやや早い時期にドイツに留学していまして、広瀬がロシアに向かう際に山形の下宿で宿泊した。
明治30年9月22日です。
ちなみにその日の夕食は鰻の蒲焼きでした。広瀬大喜び。
ロシアについてからは味噌や醤油を送ってもらったりしている。
帰国後は活動のホームグランドであった仙台で先進的な病院システムを導入した人物だと、山形の訃報で読んだ(※当時の新聞)。
ちなみに山形の次男は武夫です。広瀬から取ったかどうかは知らん。


ごめん、今日はここまで。
ほぼ話の前提で終わった。笑 
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