Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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軍歴証明ノート(2)

『兵隊たちの陸軍史 兵営と戦場生活』(伊藤桂一)を参考文献のひとつとしています。
大昔に読んだ記憶がある。

兵隊気質の郷土性の話が出ており、それが興味深かったです。
日本の兵団の中で強いと言われたのは東北と九州になります。
逆に弱いと言われたのは大阪。
ピンポイントか。笑

またも負けたか8連隊、それでは勲章9連隊

と歌われた程の抜群の知名度。笑
9連隊の編成地は京都で、大阪と一緒に俗謡で笑われていたのであった…


東北の兵隊は言われた通りを守るので、餓死しても命令のない限りその場から離れない。
昭和13(1938)年の張鼓峰事件の時、警戒命令を出した将校が命令を出したことを忘れてしまい、いつまでも交代要員が来なかった。
それで歩哨に立った兵は適宜判断で陣地に引き上げたが、東北の初年兵だけは引き上げなかった。
そこへ敵陣からソ連軍の将兵が数名の兵隊を従えてやってきた。
初年兵がどうしたかというと、ソ連将校に敬礼。
将校には敬礼せよと教えられているから、敵味方なく敬礼した。
このソ連兵は日本軍に降伏したいと言ってやってきたもので、初年兵は彼らを自陣地に案内した。
捕虜にしたではなくて、案内、した。

こういう兵隊は東北兵団にしかいなかったそうです。


命令を出したら、必ず解除を忘れぬこと、という一条を、東北兵団の指揮者が守るのは、部下兵員の純朴さを知るからである。
戦闘の際、こういう部隊が、特に守備に強いことは自明の理である。


この文章、特に前半の一文が凄く印象に残っている。
ここ読んだ覚えがあるなと今見ても思うほどであったので、その時も余程印象に残っていたのだと思う。

伊藤桂一によると、九州兵の勇敢さは南国特有の多血性と純朴な地方性から来ており、東北程の粘り強さはないものの素質は良い。
九州と言っても中核は熊本と鹿児島で、

熊本 …竹を割ったようなからっとした性格
鹿児島 …南州を誇る独自の地方色で、小柄だが敏捷な薩摩隼人の伝統に恥じない

そしてその他の九州兵団の特色と言えば、

福岡連隊 
…炭鉱従事者が多く、川筋気質と言われる気の荒さ、人情仁義の厚さが個性。
それに佐賀の葉隠精神が支えとなるので、理屈抜きの行動性を尊び、第六師団(熊本)の気質に対抗し、久留米編成師団の名を売っている

久留米兵団は天皇への忠誠一辺倒という筋金入りの将校ばかりがいて、強兵を指揮していたそうです。
将校は地生えではなく他所から赴任してくるものなので不思議に思うのですが、そういうものなのか。雰囲気に染まる所があるのかもしれない。
ちなみに久留米で編成された師団には第18師団があり、これは兵団文字符に「菊」を与えられた強兵で知られた師団です。


久留米で編成された第37師団は運城(北支)からカンボジアのプノンペンまで直線距離にして四、五〇〇キロを歩いている。
この部隊の兵員は、歩きながら、連れている牛のふと股を剣でえぐりとり、それを焼いて昼食の菜にした。
陣地攻撃をするとき、正面を見すえて応戦するので、戦死者はほとんど眉間を射抜かれていた。
この師団所属の一連隊は、命令をききまちがえて、師団全部で攻撃して取るべき敵城(祁県)を、一個連隊で攻めて取ってしまった。


お、おう…
1個師団は大体2~2・5万人、1個連隊は3000~3500人位です。


こういう気質を兵営生活に置き直すと、当然強兵たるべき訓練――として、私的制裁もまたきびしかろうし、初年兵の、それに耐える能力も高い、ということになる。


私的制裁、兵営生活の中での上官や先輩からのビンタであったりですが、そうしたリンチにも郷土性があったようです。
伊藤桂一は「高田の歩兵第58連隊では営内における私的制裁が殆どなかったと聞いたことがある」と書いていて、私も同じことをどこかで見たことがある(この本では…)。
(新潟のこの連隊はレルヒ少佐がスキーを教えた連隊。インパール作戦のコヒマの戦いに参加)

東北兵団の、上記したああいった性質の兵隊は私的制裁しても張り合いがなく、また二年兵三年兵になっても、こういう兵隊は下の者を制裁しないだろう。
恐らく東北や日本海側の部隊では東京大阪のような私的制裁の在り方ではなかったと思う。
仮にあっても、よく人情の通った上での制裁であったのでは?

…とあり、各地の地域性というか、郷土性は中々個性的というか、強烈なものなのだと思います。
ちなみに著者自身も関東兵団で7年兵隊をしていて、その関東兵団の印象は、

・東京兵がかなり混じるので気質的にはさっぱり。兵員の知的水準も高かった筈
・兵営生活もあくどくはないにしても、底に人情が通うということもない
・戦場でも兵営でも標準的、典型的であった気がし、どこか無性格・無特徴

何だか分かる気がします…
著者自身も7年身を寄せていて、その性格をどう説明していいか正直言って分からない、と述べている。


そして思わず笑ってしまったのが、大阪の兵団の特徴。
著者曰く、弱いのではなく、合理的。

第34師団が作戦時、路上で疲れて休んでいると、前方に日本兵に追われた中国の敗走部隊が姿を現した。
こういう場面に出くわせば、いかなる部隊でも攻撃、捕捉、殲滅するだろう。
が。

大阪兵はそれをみても全然動かなかった。

ちょっと。笑。


理由は、自身も疲れているし、敵も疲れている、かりに敵を捉えてみても大局に影響はないし、また捕虜を連れるとそれだけ足手まといで骨が折れる、逃がしてやれ、と考えたのである。


中国兵は指呼の間に大部隊を発見して驚愕したけれど、彼らは一向に無表情で敵か味方か判別できず、不審げに振り返り振り返りしながら逃げおおせたそうです。

そんな話あったんや。笑
大阪兵団の話続く。(まさかの
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